福島原発事故を巡り、強制起訴された旧経営陣3人の公判が14日、東京地裁で開かれ、事故後の避難に伴って亡くなった被害者遺族の意見陳述がありました。
遺族たちは、「事故がなければ、故郷を追われることも両親を亡くすこともなかった。悔しくて、悲しくて、腹立たしい」、「みんなの人生が大きく変わった。責任を取ってほしい」、「放射能がなければ、ここまで苦労することはなかった。東電は誰一人責任を取っておらず、死んでも許せない」などと、言葉を詰まらせた人もいました。
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原発事故「責任曖昧なまま。両親返して」 東電強制起訴公判 遺族陳述
東京新聞 2018年11月14日
東京電力福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣三人の公判が十四日、東京地裁(永渕健一裁判長)であった。事故後の避難に伴って亡くなった被害者遺族の意見陳述があり、両親を亡くした女性は「事故がなければ、故郷を追われることも両親を亡くすこともなかった。悔しくて、悲しくて、腹立たしい」と言葉を詰まらせた。
公判は今後、十二月二十六、二十七日に検察官役の指定弁護士による論告求刑があり、弁護側が来年三月十二、十三日に最終弁論し、結審する予定。
指定弁護士によると、業務上過失致死傷罪の被害者は、原発から約四・五キロ離れた双葉病院と、隣接する系列の老人介護施設「ドーヴィル双葉」(いずれも福島県大熊町)の患者らで、死亡したのが四十四人、けがが十三人。
原発事故によりバスでの長時間の避難を余儀なくされ、二〇一一年三月十五日~二十九日、移動中のバス車内や避難先で死亡したなどとされる。死因は脱水や衰弱による心機能不全、急性心筋梗塞などだった。
この日は遺族二人が出廷して意見陳述し、別の遺族三人分の陳述書が読み上げられた。出廷した女性は、両親が施設からの避難中に亡くなり、二人の死を知ったのは事故から約二週間後だったと証言。福島県いわき市の臨時の霊安室で遺体と対面したときの心情について「怒りで心がいっぱいになり、体が震えた」と声を詰まらせた。
さらに「両親を元に戻して返してほしい」と訴えると、傍聴席からはすすり泣きが漏れた。東電に対しては「責任が曖昧なままだ。死んでも許すことはできない」と怒りを吐き出した。
強制起訴されているのは、東電の勝俣恒久元会長(78)ら旧経営陣三人。大津波を予測できたにもかかわらず対策を怠ったまま原発の運転を続け、四十四人を移動中のバスの車内や避難先で死亡させたなどとされる。 (蜘手美鶴)
<東京電力旧経営陣の刑事裁判> 2011年3月の東京電力福島第一原発事故を巡り、東電の勝俣恒久元会長(78)、武黒一郎元副社長(72)、武藤栄元副社長(68)が業務上過失致死傷罪に問われた刑事裁判。福島県民らの告訴・告発を東京地検は不起訴としたが、検察審査会は二度にわたり「起訴すべきだ」と議決。3人は16年2月に強制起訴された。17年6月に始まった公判で、3人は「大津波は予測できなかった」などと無罪を主張している。
遺族「責任取って」 福島第1原発事故で避難中死亡 東電公判
時事通信 2018年11月14日
東京電力福島第1原発事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3人の公判が14日、東京地裁(永渕健一裁判長)であった。原発近くの介護施設に入所し、避難中に死亡した夫婦の遺族が意見陳述し、「みんなの人生が大きく変わった。責任を取ってほしい」などと訴えた。
夫婦の娘は「長時間の過酷な移動で死亡した。どんな思いだったか考えると、心が押しつぶされそう」と声を絞った。納骨できたのは約5年後だったといい、「放射能がなければ、ここまで苦労することはなかった。東電は誰一人責任を取っておらず、死んでも許せない」と述べた。
孫の男性は「想定外では済まされず、責任者は誰なのか知るため裁判に参加してきた。遺族は突然、死という現実を突き付けられたことを忘れないでほしい」と語った。
法廷では、ほかに遺族3人の陳述書も朗読された。元会長勝俣恒久被告(78)らはうつむき気味で聞き入り、傍聴席からはすすり泣く声が漏れた。