4月1日の福島県田村市都路地区の避難指示区域解除に続いて、川内村の避難指示区域も26日に解除になりました。今後は昼夜を通して暮らすことが出来るわけですが・・・
国は「除染の効果で放射線量が下がった」と強調しますが、事故から3年を経過してどの程度まで下がったのでしょうか。
今回解除された区域は、除染前は平均で空間放射線量が毎時0.75マイクロシーベルト(=6.57ミリシーベルト/年)だったのが、除染後は毎時0.44マイクロシーベルト(=3.85ミリシーベルト/年)になり、41%減の効果があったとしていますが、一応安全とされる年間1ミリシーベルトを4倍近くも上回っています。
これでは狭い仮設住宅から抜け出して自宅に戻ろうとしても、とても人が住める環境ではありません。現実に自宅に戻る申請をしたのは、対象区域の134世帯276人のうち、1割強の18世帯40人にとどまりました。
住み慣れた自宅と庭に未練があって放射能の心配を覚悟の上で戻ってみても、「自分たち以外に人がいない。がっかりした」と、翌日には仮設住宅に戻る人たちもいます。
チェルノブイリでは、5ミリシーベルト/年以下を居住可能地域として、内部被曝の問題も含めて大きな放射能被害を生じました。
そうした事例があるのになぜ国はこんな貧弱なことしか行えずに、20ミリシーベルト/年以下なら居住可能などと馬鹿げたことをいうのでしょうか。
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住民、除染効果に不信感
東京新聞 2014年4月27日
東京電力福島第一原発事故から三年余り。一時は全住民の避難に追い込まれた福島県川内村の避難指示区域で二十六日、昼夜通して暮らすことができるようになった。国は「除染の効果で放射線量が下がった」と強調するが、実際には十分下がっていない場所も多く住民の不信感は根強い。
「やっぱり自分の家が一番」「のんびりできて、いいねえ。仮設は気を使うから」。大型連休の初日。阿武隈山系にある川内村で青空の下、自宅に向かう人の姿が見られた。
草野勝利さん(69)もその一人。妻繁子さん(68)と福島県郡山市から戻り、満開となった庭の桜を見て、ほっとした様子だったが「手放しで喜べるわけではない」と表情を曇らせた。
三月の住民懇談会で国が出した資料には、避難指示を解除する放射線量の条件として「年間二〇ミリシーベルト」と書かれていた。「長期的に一ミリシーベルトを目指すのではなかったのか」。怒りがこみ上げた。
国が実施した除染の結果では、「避難指示解除準備区域」の住宅地は、平均で空間放射線量が毎時〇・七五マイクロシーベルトだったのが、除染後は毎時〇・四四マイクロシーベルトとなり、41%減の効果があったとしたが、年間一ミリシーベルトに相当する毎時〇・二三マイクロシーベルトは上回った。
「自分たち以外に人がいない。今夜だけ泊まって明日には仮設住宅に戻ろうと思う。がっかりした」。川内村の林業大和田亥三郎さん(79)は二十六日、妻ロク子さん(77)と自宅に戻ったが、周辺の家には誰もいないと知り肩を落とした。
村内の仮設住宅から日中だけ通い、荒れた家の床や天井を少しずつ修理してきた。この日は片付けを終え、日中は広い居間のソファでくつろぎながらテレビを見て過ごした。だが夕方になっても周囲の家に人の気配はないまま。
「どんなに仮設住宅の部屋が狭くても、みんながいる場所の方がいい」。大和田さんはさびしそうに漏らした。
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原発事故で全住民が避難した川内村は、二〇一二年に役場を郡山市から本来の庁舎に戻し、住民の帰還も徐々に進んでいるが、原発二十キロ圏内では今も避難指示が続いたまま。年間被ばく放射線量が二〇ミリシーベルト超五〇ミリシーベルト以下の「居住制限区域」と、二〇ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」の二区域がある。これまでは滞在できるのは日中だけで、夜は避難先に戻らなければならなかった。
帰宅申請1割だけ 川内村避難区域で長期終日滞在
東京新聞 2014年4月27日
東京電力福島第一原発事故による福島県川内村の避難指示区域のうち「避難指示解除準備区域」で二十六日、特例として三カ月の長期間、終日滞在ができるようになり、自宅で夜を過ごすため仮設住宅など避難先から戻る住民の姿が見られた。
政府は避難指示そのものを全面的に解除するため、村や住民と協議に入っており、解除されれば四月一日の田村市都路(みやこじ)地区に続き二例目となる。だが、放射線への不安は消えておらず、対象区域の百三十四世帯二百七十六人のうち、自宅に戻る申請をしたのは一割強の十八世帯四十人にとどまった。
無職草野勝利さん(69)は妻繁子さん(68)と一緒に、郡山市の避難先の住宅から自宅に戻り、片付けをした。勝利さんは「住み慣れた自宅と庭に未練があって戻ってきた。避難指示が解除されたら帰る」と話した。