のお知らせ (再掲)
ただいまポスターの掲示を進めていますが、いずれ新聞折込でビラの
配布も行う予定です。
皆様 どうぞお出でください。
「原発をなくす湯沢の会」は、湯沢町、湯沢町教育委員会、エフエム雪国の後援のもとに、下記により 映画「渡されたバトン さよなら原発」 の上映会を行います。
配布も行う予定です。
期 日 : 4月19日(土)
上映時刻 : 1回目 14:00~ 2回目 19:00~
会 場 : 湯沢町公民館 2階ホール
前 売 券 : 大人 1000円
(注.小・中・高生は800円で、当日券のみです)
前売券は湯沢公民館で扱っております。
お近くの「原発をなくす湯沢の会」のメンバーからも入手できます。
お近くの「原発をなくす湯沢の会」のメンバーからも入手できます。
入手できない場合、下記の会役員にお問い合わせください。
高波菊男 (電話 090-6129-0243)
南雲敏夫 (電話 090-2674-9414)
映画「渡されたバトン さよなら原発」の概要について、
「日本の青空Ⅲ」 製作委員会の宣伝資料から
以下に転載します。
「日本の青空Ⅲ」 製作委員会の宣伝資料から
以下に転載します。
映画“渡されたバトン さよなら原発” あらすじ
― 「日本の青空Ⅲ」 製作委員会 ― より転載
―1968年夏― 過疎化の進む人口3万人の巻町に異変が起きた。
出稼ぎ大工と行商で細々と食いつないできた角海浜地区の地価が、なぜか値上がりしはじめた。 割烹旅館「なぎさ」を経営していて情報源に事欠かない五十嵐家に、どこかの企業が角海浜に レジャーランドを開発するらしいという朗報が舞い込み期待がふくらむ。
ところが翌年6月―東北電力が巻町に原発建設を計画していると「新潟日報」がスクープ。 膨大な補助金でさびれた町が息を吹き返すと力説する議員や町職員だったが、巻町民の多くは戸惑った。原発そのものをよく理解していなかったからだ。
1971年5月、東北電力は巻原発計画を公表。何十億円もの協力金や補償金とそれに群がる推進派は、あの手この手で計画を進めはじめる。 原発に真っ向から反対したのは巻町漁協で、ほかにも「五ケ浜を守る会」「巻原発をつくらせない会」など反対運動は少しずつ広がりをみせていた。
「なぎさ」の客は町の有力者が多く原発推進派の拠点でもあったが、その五十嵐家も原発問題で揺れはじめる。長女・千草が嫁いだ蓮華寺は原発予定地の角海浜にあり、後に墓地の所有権をめぐって町と裁判になる。次女・早苗の恋人は病院の検査技師で原子力に懐疑的だ。三女・双葉は漁協に就職した。一番下の洋一は、叔父の町議のコネで役場に就職する。 そんな中、1979年のスリーマイル島原発事故は、多くの町民を目覚めさせ反対運動に火をつけ次々に団体が結成された。だが反対派の足並みは必ずしも揃っていなかった。 五十嵐家も推進派と反対派に分裂しさらにギクシャクしていった。
そして、1986年チェルノブイリ原発事故。さらに町民の意識は、原発への拒絶反応として劇的に変化しつつあった。
反対派はたくさんのハガキ付風船をつくり、これが放射能ならどこまで飛ぶかを実験した。 巨額の協力金を投じてきた東北電力は、あきらめるわけもなく政府・財界と一体になって「原発安全 キャンペーン」で巻き返しをはじめる。 反対派は、沈黙している母親たちの気持ちを「折り鶴」で、直接佐藤町長に届けようと呼びかける。2万羽3万羽と「折り鶴運動」は加速的に広がり、驚くほどの反応になっていた。
しかし原発推進を掲げた佐藤町長が三選。地縁血縁に縛られる選挙と、原発に対する町民意識とは別物であることを思い知らされた反対派は直接民主主義の住民投票を実施しようと「住民投票を実行する会」を結成。 「自主管理」の住民投票は、阪神淡路大震災直後に行われ、推進派の圧力にもかかわらず投票率44%、その95%が原発反対票の圧勝だった。
住民の意思が明確に示されたにもかかわらず無視をきめ込む佐藤町長…
そして、25年にわたる巻町民の波乱に満ちた原発是非のドラマはいよいよ大きなヤマ場を迎えていく・・・