昨年12月28日、住民の反対を押し切って南相馬市の特定避難勧奨地点が解除されましたが、それによって帰還した人は殆どいません。
それでもこの3月末には精神的賠償の支払いは打ち切られ、高速道路料金無料化や医療費減免などの措置もなくなります。
住める筈のないところに帰れというのが昨年暮れの決定でした。現実に家の近くには3マイクロシーベルト/時(年間26ミリシーベルト)以上の場所もあるということです。
帰還が果たせないと、地域や農産品が汚染されているという風評がなくならないから、とはうまい理屈を考えたものですが、諸手当の打ち切りによる経費節減が真の狙いだったのではないでしょうか。
放射能汚染の不安がなくならなければこの先も住民の帰還は進みません。
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南相馬市 「避難勧奨」解除から1カ月 放射線不安消えず、進まぬ帰還
福島民報 2015年1月27日
東京電力福島第一原発事故に伴う南相馬市の特定避難勧奨地点が解除され、28日で1カ月を迎える。放射線に対する住民の不安は十分に解消されておらず、帰還は進んでいないとみられる。
■支援策継続求める声
指定が解除された南相馬市原町区馬場の住宅に暮らす無職男性(68)は「状況は何も変わらない。息子たちはまだ戻っていない」と寂しげに話す。
東日本大震災と原発事故前は母、妻、長男夫婦、孫2人の7人で生活していた。勧奨地点に指定された後、一家で市内の借り上げ住宅に避難したが、指定が解除されると知らされ、昨年10月に妻、母とともにわが家に戻った。
だが、自宅付近の放射線量は市内の他地域に比べて高く、毎時3マイクロシーベルトを超える場所がある。再除染の見通しは立っておらず、長男一家は自宅に戻ることをためらっている。男性は「また一家で安心して暮らしたい」と切実な思いを打ち明けた。
市によると、解除前は勧奨地点に指定された152世帯の約8割が避難していた。解除後の帰還状況について調査していないが、避難世帯数に変化はないとみている。新年度となる4月が「帰還の節目」として、放射線に関する相談業務などを継続し住民の帰還を後押しする。
一方、指定を解除された世帯に対する東電による精神的賠償の支払いは3月末での打ち切りが決まっている。高速道路料金無料化や医療費減免などの措置も同じ時期に終了する。指定世帯の住民らでつくる南相馬特定避難勧奨地点地区災害対策協議会の菅野秀一会長(74)は「避難を続ける世帯の負担が増えないよう、各種支援策の継続を政府に要望する」と語る。
南相馬市では原発事故の起きた平成23年、放射線の年間積算線量が20ミリシーベルトを超えると試算された橲原、大原、大谷、高倉、押釜、馬場、片倉の7行政区の142地点(152世帯)が特定避難勧奨地点に指定された。