2015年4月3日金曜日

避難解除半年 川内村東部に戻った住民はまだ12%

 福島原発から20キロ圏内の福島県川内村東部避難指示が解除されて1日で半年となりましたが、実際に居住している住民は3月1日現在、21世帯34人と全体のわずか12.4%です
 
 4月以降、村に戻る意向を示しているのは15人ほどいるということですが、その程度の人たちが更に帰村したとしても、とても事故前の村の姿に戻ることはできず、以前の地域社会は取り戻せません。
 その上隣接する富岡町と大熊町避難区域のため以前の商業施設がなくなり、いつになれば住民が戻りそこに地域社会が復活するのか見当もつきません。
 
 そうした状況で今後の生活の目処などまだ全く立たないのに、避難者に支払われる月10万円の賠償はあと半年で打ち切られますその後はどのようにして生活せよというのでしょうか。
 これは法令がそうなっているからということで済ませられる問題ではありません。南相馬市では訴訟が起されましたが極めて当然のことで、国は実態に即した手当てを行う必要があります。
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避難解除半年 川内村東部に戻った住民12%
河北新報 2015年4月1日
 東京電力福島第1原発から20キロ圏内の福島県川内村東部の避難指示が解除されて1日で半年となった。解除区域に居住実態のある住民は3月1日現在、21世帯34人と全体のわずか12.4%。除染対象外の山林に囲まれた生活への不安が根強く、買い物や通院などで依存していた同じ生活圏の富岡、大熊両町が避難区域のため、帰還に二の足を踏んでいるのが実情だ。
 
 同村下川内毛戸地区の神藤俊男さん(66)は定年退職を機に田舎暮らしを望み、東京から移住した。
 2010年、村の農家6人と販売団体「高原ファーマーズ」を設立。いわき市のイベントに出店したのを皮切りに、「凍(し)み大根」やニホンミツバチの蜂蜜を作り、県外にも販路を築こうと試みた。原発事故が起きたのは、その直後だった。
 長期宿泊が始まった昨年4月に自宅に戻って住み続けるが、仲間の農家は避難先にとどまる。物置にエゴマの種を入れたペットボトル5本を大事に保管するのは、「エゴマなら、いつか育てられる」という事業再開に懸ける思いからだ。
 
 事故前は車で30分ほどの大熊町に商業施設があった。今は1時間かけて田村市船引町でまとめ買いする。村は複合商業施設や災害公営住宅の整備、企業誘致などに力を入れるが、村の再生を目指す取り組みは始まったばかりだ。
 自ら好んで移り住んだ村だけに愛着の念は強い。「原発事故で村は全国に知られた。逆手に取れば、復興予算がある今はチャンス」。東京の友人を介して村を訪れるボランティアの受け皿づくりを計画する。
 
 避難者に支払われる月10万円の賠償は解除後1年で打ち切られる。1年以内の帰還者には90万円上乗せされるが、猶予はあと半年。村住民課は「暖かくなれば帰るという人もいる。戻って生活できる環境の整備に努めたい」と話す。4月以降、村に戻る意向を示しているのは15人ほどという。