2015年4月28日火曜日

川内原発仮処分却下 本当に「不合理な点はない」のか

 22鹿児島地裁前田郁勝裁判長は、九電 川内原子力発電所1、2号機の稼働差し止め仮処分申請を却下し、16日に福井地裁樋口英明裁判長)が関電 高浜原発3、4号機再稼働差し止めを決めたのと対照的な結論となりました。
 
 福井地裁は、原子力規制委の新規制基準について、「『基準地震動』を見直して耐震工事をするなどの対策をとらなければ、高浜原発のぜい弱性は解消できないのに、それらの点をいずれも規制の対象としておらず、合理性がない。深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないと言えるような厳格な基準にすべきだが、新しい規制基準は緩やかすぎて高浜原発の安全性は確保されていない」と結論づけました。
 
 それに対して鹿児島地裁新規制基準、「最新の調査・研究を踏まえ、専門的知見を有する原子力規制委員会が相当期間・多数回にわたる審議を行うなどして定められたものであり、最新の科学的知見等に照らし、その内容に不合理な点は認められない」とし、新規制基準の評価も180°異なりました。
 
 福井地裁の樋口英明裁判長は大飯原発3、4号機の運転差し止めの本訴でも、2014年5月に運転を差し止めるとする画期的な判決を下しました。
 しかしそれは最高裁事務総局(判事の人事権を握っている)の意に沿わないものであったらしく、この4月に家庭裁判所判事に異動させられました。あと3年ほどで65歳の定年を迎える判事は高裁の判事に昇進するのが通例だそうですが、樋口氏はその逆で家庭裁判所に左遷させられました。
 これは最高裁事務総局の明白な意思表示であり、こうなればもう普通の判事は原発停止の判決は下せません。本来は憲法76条3にあるとおり「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」べきなのですが、日本ではもう長らくそうではありません。これはこれで真に情けない話です。
 
 22日仮処分申請却下の決定の直後に、原告団・弁護団が出した声明に、「当原告団・弁護団は、三権の一でありながら、行政による人権侵害を抑止できない裁判官の臆病な態度を強く非難するものである」という文言があったのは、そうした圧力に裁判官が屈したことを指摘したものです。
 
 これまで住民から提起された原発運転差し止め訴訟は20数件に上りますが、そのことごとくが却下されてきました。例外として2件、2003年と2006年に一審で差し止めが認められましたがどちらも上級審で覆されました。
 その挙句、2011年3月の悲劇が起きました。
 それまで常に国側の主張を丸呑みにして判断してきたことに、さすがに最高裁も忸怩たるものがあったのでしょう。福島事故の翌2012年1月に全国の裁判官が参加し研究会が開かれて、そこでは「福島事故を踏まえ、放射能汚染の広がりや安全審査の想定事項など従来の判断枠組みを再検討する必要がある」とした意見が出され、専門的な知見への対応策としては、学識経験を持つ第三者に深く掘り下げた解釈・分析を求める「鑑定」の活用も話題に上ったということです
 
 しかしそうした反省が(樋口判決を除いて)何の実効も挙げないうちに、早くも元の黙阿弥に戻ったわけです。政府が原発の再稼動を促進するのと同じように、最高裁も4年を経ずして早くも「熱さ」は「喉元」を通り過ぎました。呆れるほかはありません。
 
 新潟日報は26日の社説で、鹿児島地裁が規制基準を最新の科学的知見に照らしたものとし是認し争点となった(1)地震対策(2)火山による危険性の有無(3)避難計画の実効性-のいずれについても、九電と規制委の判断を追認したことに対して、新規制基準に「不合理な点はない」のかと不審の念を表明しました
 
 まず『耐震基準』は2006年(中越沖地震の前年)に改定されましたが、その時点でも決して最新の科学的知見を盛ったものではありませんでした。
 当時ベースになる地震のデータを提出した、その道の第一人者の石橋克彦神戸大教授は、それが原発の耐震設計基準に反映されていないとして、制定される直前に原子力安全委員会・耐震指針検討分科会委員を辞任しています。
 要するに最新の地震データを盛り込めば作り直しになる原発が続出するために、耐震指針に反映出来なかったということで、彼の後を継いだ委員は何事もなかったように大勢に従ったということです。
 
 『火山噴火による火砕流』の問題も、規制基準では火砕流が到達する危険性が排除できなければ立地しないとされているので、川内原発は当然に廃炉になると思われたのですが、これも火山学会の度重なる制止や警告を振り切って、最後には少なくとも30~40年間にはそうした惧れはないというような恐るべき口実を設けて、合格=再稼動に踏み切りました。
 (この件については、「11月5日原子力規制委員会田中俊一委員長の記者会見での発言について」 http://www.kiseikanshishimin.net/2014/11/07/kogiseimei/ に詳細が記されています)
 
 『避難計画について要支援者の避難計画は立てられておらず鹿児島県知事自身10キロ以遠の地域では実効性のある避難計画を定めることは不可能と認めているにもかかわらず地裁は避難計画に問題なしとしました。唖然とします。
 司法が守るべき「住民の生命身体の安全という人格権の根幹部分」を一体どう考えているのでしょうか。冷然と「問題なし」として憚らない裁判官の発想は理解ができません。
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社説) 川内仮処分却下 「不合理な点はない」のか
新潟日報 2015年4月26日
 司法の判断が大きく分かれた。
 九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)の周辺住民らが再稼働の差し止めを求めた仮処分申し立てで、鹿児島地裁の前田郁勝裁判長は申し立てを却下した。
 東京電力福島第1原発の事故後に定めた原子力規制委員会の新規制基準に「不合理な点はない」というのが理由だ。
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)についての同様の申し立てでは福井地裁の樋口英明裁判長が先日、合理性を欠くとして再稼働の差し止めを認めており、対照的な結論となった。
 福島事故後、司法には国の方針に従う考え方と、住民の立場から危険性を捉えようとする二つの流れがあるとされる。
 両地裁の決定は、裁判長の安全性に対する判断の違いが如実に表れた結果といえよう。
 樋口裁判長は2005年以降、全国の4原発で基準を超える地震が起きたことなどを踏まえ、深刻な事故が万が一にも起きないかどうかという観点から新基準を「不合理」と踏み込んだ。
 一方、前田裁判長は福島事故を考慮した最新の科学的知見に照らし、新基準を是認した。
 その上で争点となった(1)地震対策(2)火山による危険性の有無(3)避難計画の実効性-のいずれについても、九電と規制委の判断を追認したのである。
 高度な科学技術が求められる原発運転の可否は専門家に任せる、とした従来の司法の姿勢に沿った形といえる。
 これは1992年にあった伊方原発(愛媛県)をめぐる行政訴訟で、専門家の意見を尊重した国に広い裁量を与え、重大な欠陥がない限り違法と認めないとした最高裁判決を事実上、踏襲したと受け止めていい。
 専門性の高い原発に対する司法判断が難しいのは確かだろう。だが、福井地裁の決定を、裁判長の属人的な問題だと矮小(わいしょう)化するべきではない。
 忘れてならないのは、国や電力会社を信頼し続けた結果、最高裁判決から19年後の2011年に国際評価尺度で最悪の事故が福島で起きたという事実だ。
 政府は再稼働方針に変わりはないとしており、鹿児島地裁の決定で川内原発1号機は7月中の再稼働が現実味を帯びてきた。新基準下では初めてとなる。
 新基準に合格しているとはいえ、それだけで安全が担保されているわけではない。
 とりわけ懸念されるのが、東日本大震災以降、活発化しているといわれる火山の評価だろう。
 決定理由では「原発稼働期間中に巨大噴火が起きる可能性は十分に小さい」と言い切っている。
 しかし、川内原発の周囲はカルデラが五つ存在する。過去の巨大噴火では敷地内を火砕流が襲った可能性が高いという見方も強い。
 噴火予測は困難といわれる中で、可能性が小さいとした根拠は何なのか、万が一の時はどう対応するのか。脆弱(ぜいじゃく)な避難計画と合わせ、謙虚に向き合うべきだ。
 「想定外」はもう許されない。