大手紙が原発の再稼働問題をほとんど取り上げない中で、信濃毎日新聞が再稼働自体と老朽原発の20年延長問題について、根本的な問題を提起しました。
「そもそも老朽原発の最長20年間の運転延長は『特例』だったはずだ。規制委自身が『新規制基準に適合しても原発のリスクをゼロではない』としているのに、事実上は適合していれば自動的に20年延長されている。そんなことでいいのか」と述べています。
14年5月に大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた福井地裁は、判決の中で「原発の稼働は経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位。具体的危険性が万が一にもあれば、差し止めが認められるのは当然だ」と指摘したのに対して、原発サイドの専門家から「このような理由を挙げれば全ての原発は動かせない」という批判が上がりました。
「飛行機は多少のリスクがあっても飛んでいるではないか」という意見も出ました。
しかしそれは全くの謬見です。
飛行機にはそれ以外では代替できない「ハイスピード」という特性があって、多少のリスクがあっても飛行機を選択する人たちがいるし、万一墜落等の事故が起きたとしても、被害はその覚悟を持って乗っていた人たちにだけ及びます。
それに対して原発では、まず火力や再生エネルギーなどで十二分に代替出来るので、多大なリスクを負ってまで選択する必要性はありません。増して一旦事故が起きれば、その被害は原発を選択した人たちに留まることなく、数十万、数百万の人たちに回復不能な被害を与えます。
要するに一部の賛成者に向けた稼働自体が不可能という決定的な違いがあるので、そういう中で稼働させたり運転の延長を行うことは許されません。
安倍政権は14年4月に2030年の原発比率を20~22%とする方針を決めましたが、そこに原発の再稼働のみならず、「原発の運転延長」を巧妙に忍び込ませていました。その根本的な問題について国民に選択する機会を与えませんでした。
科学技術を社会学の立場で研究する専門家は、「国民が原発をどうしたいのか判断しないまま、成り行きで再稼働が進んでいる」と批判していると、信濃毎日新聞は述べています。
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あすへのとびら 成り行き再稼働 国民の選択が置き去りだ
信濃毎日新聞 2016年6月12日
国民が何も決めないまま、原発の再稼働が進んでいる。
再稼働は今月中にも新たな段階に入る。
運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機(福井県高浜町)。原子力規制委員会は今月2日、最長20年の延長運転に向け、老朽化対策の審査を終えた。
月内にも合格証に当たる「審査書案」を取りまとめる。新規制基準の施行後初めて、老朽原発の延長運転を認める見通しになった。
<責任の所在が不明確>
原発の運転期間を原則40年と定めたのは2012年1月。民主党政権が原子炉等規制法の改正案を閣議決定し、その後成立した。
最長20年間の運転延長は「特例」だったはずだ。それなのに、安倍晋三政権は昨年7月、老朽原発の運転継続を前提に、30年時点の望ましい電源構成比率を原発20〜22%と決めている。規制委は追従するように審査を進めた。
老朽原発を含め、新規制基準に適合すれば安全なのか。
規制委の田中俊一委員長は「100%の安全が保障されるわけではない」と繰り返している。一方で政府は審査で新基準に適合した原発を再稼働する方針を続けている。実効性が伴わない避難計画も存在する。安全に対する責任の所在がはっきりしない。
新規制基準に適合しても原発のリスクをゼロにはできない。技術的な側面ばかりが論議される中で、大切なことが見落とされているのではないか。
私たちは安全の水準をどの程度に求めるのか。まずそれを決めることが必要だ。脱原発にかじを切ったとしても、原発を使わない場合の経済的なリスクをどう考えるのか。原発の危険性をある程度許容し、原発に依存するのか。別の道を模索するのか。社会として選択しなければならない。
14年5月に関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた福井地裁は、判決の中で「(原発の稼働は)経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分より劣位に置かれるべきだ」とした上で、「具体的危険性が万が一にもあれば、差し止めが認められるのは当然だ」と指摘した。
この判決は原子力の専門家から「このような理由を挙げれば全ての原発は動かせない。原子力の素人が下した無見識で無謀な判決」と批判を受けた。
よく考えてみたい。経済などを犠牲にしても原発のリスクを容認しない国民が多数を占めるなら、原発にこれ以上、依存することは許されないはずだ。それが明確でないため、大飯原発の判決以降、司法判断も揺れている。最大の問題点は、国民が選択する過程を置き去りにしていることにある。
<目指す社会は>
安倍政権は14年4月に原発を「重要なベースロード電源」と位置付け、再稼働を進める方針を明記したエネルギー基本計画を閣議決定した。前年の参院選の公約で自民党は「原発の安全性は規制委の判断に委ねる」としていただけだ。計画策定には国民が選択する機会は与えられなかった。
民主党政権は12年7〜8月、原発について意見を聞く聴取会を全国で開催した。討論などを通じ意見がどう変化したかを調べる討論型世論調査も行い、30年代に原発稼働ゼロを目指す方針を決めている。福島事故以降、国民が原発政策について、政府に意見を伝えた唯一の機会だったといえる。
聴取会は意見が言える人がわずかで、政府に質問できる時間もなかった。討論型世論調査も手法は評価できるとしても、1度だけでは十分とはいえないだろう。
科学技術を社会学の立場で研究する東京電機大の寿楽浩太助教は「国民が原発をどうしたいのか判断しないまま、成り行きで再稼働が進んでいる」と指摘。「国民がみんなで決めた、と納得できる方法を考える必要がある」と話す。
大切なのは、国民が意見を交わし、議論を深めることだ。私たちは何を守り、どんな社会を望むのか―。そこから考えなければならない。議論の場を、つくることから始めたい。