東電福島原発事故は民主党の菅内閣時代に起きました。
その時行われたことは、放射能拡散情報システム=SPEEDIの隠蔽、風力・風向データの公開禁止(気象庁への指示)などでした。
政府には何故か国民の被ばくを少しでも軽減しようという考え方はありませんでした。逆に東電に負けないほどの隠蔽体質が発揮されました。
枝野官房長官(当時)は連日連夜、「放射能は直ちには健康に影響しない」と国民には説明していましたが、その実 週刊誌によれば家族は国外に退避していたということです。
東電の清水社長(当時)が、首相官邸から指示されたとして「『炉心溶融』は絶対に使うな」と社内に伝えていたことが分かりました。そういえば東電の広報担当者が定例の記者会見で「炉心溶融」を口にしたところ、その日のうちに交代させらるということが起きました。
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東電社長「炉心溶融使うな」指示 「官邸指示」と伝える
東京新聞 2016年6月16日
東京電力が福島第一原発事故当初、原子炉の核燃料が溶ける「炉心溶融」が起きていたのに「炉心損傷」と説明し続けた問題で、同社が原因調査を依頼していた第三者検証委員会が「当時の清水正孝社長が『炉心溶融という言葉を使うな』と社内に指示していた」との報告書案をまとめたことが、関係者への取材で分かった。十六日午後、正式に取りまとめる。
報告書案によると、清水社長は、二〇一一年三月十四日夜に記者会見中だった副社長に、広報担当者を通じて、首相官邸からの指示として「この言葉(炉心溶融)は絶対に使うな」と伝えていたことも判明した。
同日早朝には、1、3号機で仮設電源により計測機器が一時的に復旧。炉心損傷割合が5%超と確認され、当時の社内マニュアルに従えば、炉心溶融と判断できる状態になっていた。
報告書案は、清水社長が副社長に炉心溶融という言葉を使わないよう求めた背景には、官邸からの指示があったと推認されるとの趣旨の指摘をしているが、指示をした人物や具体的な内容は特定していない。
一一年の事故直後、東電は記者会見などで1~3号機の炉心溶融の可能性を指摘されたが「基準は存在しない」として、前段階の「炉心損傷」と説明していた。正式に溶融を認めたのは一一年五月だった。
<炉心溶融> 原子炉内の冷却水喪失などにより、高温になった核燃料が溶け落ちる現象で「メルトダウン」とも呼ばれる。東京電力福島第一原発事故では1~3号機で電源喪失により冷却機能が失われ、炉心溶融が起きた。事故当時の法令では、原発事故時の最も深刻な事態の一つとして、電力会社が国などに速やかに通報するよう定められていた。当時の経済産業省原子力安全・保安院は炉心溶融の前の段階として、燃料を覆う被覆管が溶けた状態を「炉心損傷」と定義していた。