2016年3月に東京で始まった「反核世界社会フォーラム」の第3回目は、2日~4日、パリで開かれ15か国から数十の市民団体と約400人の市民が参加しました。
開会総会では「3.11甲状腺がん子ども基金」代表の崎山比早子さんの発表があり、翌日の分科会などでも、同氏から甲状腺がんになった患者と家族の苦悩、そして周囲に病気を隠して孤立している状況が報告されました。
また2日目の総会では、チェルノブイリでリクビダートルに徴集されたウクライナ人アーティストのオレグ・ヴェクレンコさんらと共に、福島事故後に除染と福島第一の収束作業で働いた池田実さんが被曝労働の現場からの証言をしました。
「飛幡祐規ーパリの窓から」の記事をレイバーネットが紹介しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
核兵器と原発のない世界をつくろう〜
パリの反核世界社会フォーラム(第3回)
飛幡祐規ーパリの窓から レイバーネット 2017年11月10日
11月2日〜4日、パリで反核世界社会フォーラムが開催された。「世界経済フォーラム」に対抗して、2001年にブラジルのポルト・アレグレで始まった「世界社会フォーラムWSF」の反核(原子力)版、核兵器と原発のない「もうひとつの世界」の実現を民衆の立場から考える試みである。2016年3月東京での第1回、同年8月モントリオールの第2回につづく第3回目パリのフォーラムには、15か国から数十の市民団体、約400人の市民が参加した。3日間にわたってレピュブリック広場に近い労働会館の3つの会場で、全体会と30強の分科会、映画上映が行なわれ、核に関するさまざまなテーマが討論された。
世界社会フォーラムはもともと、ネオリベラル型グローバリゼーションがもたらす貧富の拡大や環境破壊に異を唱えたものだが、その創立メンバーのひとり、ブラジルの社会運動家シコ・ウィタカーさんは、福島第一の原発事故に大きな衝撃を受けた。核のテーマはそれまでのWSFでほとんど取り上げられていなかったが(南アメリカやアフリカには原発が少なく、核保有国もない)、福島を視察したウィタカーさんは、核兵器と原発のない世界を早急につくる必要性を確信した。そこで、在仏著述家・ジャーナリストのコリン・コバヤシさんや社会運動団体ATTACなどと連携して、反核がテーマのWSFを開催する企画を進め、第1回が福島5周年の2016年3月、東京で実現した。
今回、核保有国であり、電力生産の72%(2016年)を原発にたよるフランスで、反核の国際フォーラムが催された意義は大きい。初日の開会総会に菅直人元首相が出席する予定だったが、10月の衆議院選挙のせいで訪仏をあきらめ、ビデオメッセージによる参加になった。福島第一の事故に首相として直面して脱原発を決意したいきさつと、再生エネルギーを発達させてエネルギーの自給自足を進める必要性を語った。同日の夜は、事故直後の官邸や東京と福島の人々の姿を描いた劇映画『太陽の蓋』(佐藤太監督)がフランスで初上映された。
開会総会ではまた、国会事故調の委員を務めた医学博士、「3.11甲状腺がん子ども基金」代表の崎山比早子さんの発表があった。福島第一原発の現在の状況、除染と帰還政策の不条理さ、甲状腺がんの多発と「子ども基金」を市民が設立した背景について報告した。崎山さんは翌日の分科会と、現地NPO「よそものネット・フランス」がフォーラム後に催した会で、甲状腺がんになった患者と家族の苦悩(現在と将来へのさまざまな不安、経済的困難…)や、周囲に病気を隠して孤立している状況を強調した。福島での甲状腺がんの多発については海外でも報道されたが、この報告によって福島県以外にも12県と東京で子どもや若者のがん患者が出たことや、転移や再発の例、重いアイソトープ治療を受ける患者がいることが明らかになった。また、基金を始めたことにより、福島県民健康調査検討委員会が発表したがん患者数(2017年6月30日までに「悪性または疑い」194人、手術後がん確定154人)のほかに、事故当時4歳だった子どもを含め、8人の甲状腺がん患者がいることがわかったという。
検討委員会に報告されず、統計からもれる患者がいるということは、嚢胞の大きさ、年齢・市町村分布など細かい分析をしているこの統計に信頼性がなくなるわけで、大問題である。福島県から甲状腺など健康調査を委託された放射線医学県民健康センター(福島県立医科大学内組織、副センター長は山下俊一)は全てのデータを把握しているはずだが、この「統計もれ」については「時間をかけて調査する」という返事だという。ちなみに、検討委員会では甲状腺がんの多発を認めながらも、原因が「放射線の影響とは考えにくい」としているが、崎山さんはその根拠をすべて反駁し、男女比がチェルノブイリの統計に似てきた状況を示した。
さて、この反核フォーラムが興味深いのは、これまで一緒に行動することがほとんどなかった軍事核への反対運動と、原子力の民生利用に対するさまざまな反対運動の世界各地の市民たちを、同じ場所に集めたことだ。核兵器反対運動に関しては、今年は画期的な出来事があった。7月7日、国連で加盟国の3分の2近く122か国の賛成によって、核兵器禁止条約が採択されたのだ。この条約づくりには、10月にノーベル平和賞が授与された国際NGOネットワーク「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)など、市民団体のねばり強い長期の活動が貢献した。日本ではピースボートがICANの構成メンバーだが、去る5月、フランスのノルマンディー地方の港にピースボートは立ち寄り、乗船していた「おりづるプロジェクト」(広島・長崎の被爆者の証言と核廃絶のメッセージを世界各地に届ける活動)の被爆者や若者たちは、ICANのメンバーをはじめフランス市民と交流した。また、毎年パリでは8月6日から9日にかけて、核兵器廃絶を要請する国際断食が行なわれているが、主催のフランスの市民団体もICANのメンバーである。一方、日本とフランスの政府は市民とは対照的に、「Hibakusha」という言葉が前文に記された核兵器禁止条約の採択に参加しなかった。
Hibaku被爆・被曝は実際に、核の軍事・民生利用双方で生み出される。ウラン採掘における健康被害、環境汚染、植民地的支配構造の問題は、アメリカのディネランド(「ナバホ」自治領とアメリカ政府は呼ぶ)やニジェール、オーストラリアの先住民居住地域に共通している。また、世界各地で行なわれた核実験、原発労働、「ウラルの核惨事」、チェルノブイリと福島原発事故はいずれも、環境破壊と同時に「被ばく」という健康被害と苦悩を生む人権侵害である。さらに、核の軍事・民生利用は同様に双方とも、後の世代に延々と被害と危険を残す核廃棄物を生産する。
2日目の「証言」総会では、ディネランドの環境運動家、若いレオナ・モーガンさんがアメリカのウラン採掘が先住民社会と文化にもたらした被害、その差別的原理を摘発した。同様に、ニジェールでのフランス(アレヴァ社)のウラン採掘による健康被害や水の汚染に対して、人権と健康を守るためのNPO「アギルインマン(魂の盾)」をつくったアルムスタファ・アルハセンさんは、「ウラニウムは世界規模の健康問題だ」と訴え、フランスの放射線測定市民団体クリラッド(CRIIRAD)をはじめNPOの協力が不可欠である状況を語った。(コラム31「ウクライナ、ニジェール、フランスから見える暗黒の原子力2015年5月4日掲載)
フォーラムの分科会では、このウラン採掘や軍事核反対のテーマなど、複数の国の市民団体がいっしょに分科会を行い、国境を越えた市民のつながりができた。英仏米フィンランドの市民による「EPR(欧州加圧水型炉)の破綻」、イベリア反原発運動(MIA、スペイン・ポルトガル)とNuclear Heritage Networkによる「汎ヨーロッパ反核運動をめざして」などの分科会も、各地の市民が情報を共有する貴重な場となった。また、ディネのレオナ・モーガンさんのほか、全体会でインドの反原発運動への厳しい弾圧について証言したソナリ・フリアさん、トルコの原発建設について発表した研究者ピナール・デミルカンさんなど、若い女性活動家の存在は、フォーラムに参加した市民たち(長年運動に関わってきた中高年が多い)を力づけた。閉会総会で、フランスの核物理学者・エネルギー政策専門家のベルナール・ラポンシュさんが指摘したように、反核運動は今、同じ一部の人々にしかアピールできない現状から脱して、若い世代に新しいヴィジョンを提示できるように、創造的な展開を必要としている。
2日目の総会ではまた、フランスの原発下請け労働者の健康被害を告発したフィリップ・ビヤールさん、チェルノブイリでリクビダートルに徴集されたウクライナ人アーティストのオレグ・ヴェクレンコさん、福島事故後に除染と福島第一の収束作業で働いた池田実さんの3人によって、被曝労働の現場からの貴重な証言がなされた。被曝労働については、第1回東京のときに最初の国際シンポジウムが行なわれたが、パリのフォーラムには日本から「被ばく労働を考えるネットワーク」としてなすびさん、池田さんらが参加した。分科会でも2回にわたり、日本とフランスの原発下請け労働の労働条件や被曝管理について報告と討論がなされ、多くの共通点が指摘された(下請け労働者に危険で汚い被曝労働が回され、放射線防護管理もずさんなこと。労災認定の難しさなど)。福島第一で最初に被曝労災を認定された労働者「あらかぶさん」が現在、東京電力と九州電力を相手に損害賠償を求める裁判を行なっている(電力会社は賠償しない)が、これを国際的に支援することが決められた。
フランスで原発は国威とされる産業だったため、エネルギー部門の労働組合もトップはいまだ推進派だが、現場での意識は少し変わってきたという。労働組合は下請け労働者に正規社員と同じ地位(労働条件)を与えるように要求するが、健康問題をとりあげない。元原発労働者(ガンマ線のみで積算250ミリシーベルト被曝、中性子線量は測定されず)で労働組合員のフィリップ・ビヤールは、きっぱりと訴える。「雇用第一というが、寿命を縮める仕事なんてやるべきではない。アスベストに晒される労働が禁止されたように、労働者が被曝して犠牲になる原発もやめるべきだ。労働組合は初心に戻って、労働者の健康をまず要求するべきなのだ」。
日本では2016年4月、事故の際の緊急作業者の被曝線量限度を現行の100ミリシーベルトから250mSvに引き上げた一方で、福島事故の避難者については、今年4月に政府は年間20mSv以下の地域を避難解除し、住民を帰還させようとしている。20mSvは多くの国で原発労働者の年間の被曝限度であり、日本で5mSv以上被曝した労働者に労災(白血病など)が認められることを考えれば、そんな線量の地域に子どもや妊婦を含む住民を「復興のために」帰還させようという政策が、いかに住民の健康を軽視しているかがわかるだろう。日本政府や「有識者」は、国際機関のICRP(国際放射線防護委員会)やUNSCEAR(国連科学委員会)などが主張する「100mSv以下では放射線の影響はたいしたことない」という評価を「国際的合意」として、チェルノブイリで報告された低線量被曝によるさまざま疾患を、小児甲状腺がん以外は認めない。
しかし、この「国際的合意」は科学的なものではない。国会事故調の調査によってICRPが電力会社の影響下にあることが判明し、日本人を含む少数の「専門家」が上記国際機関やIAEAの委員長や委員を兼任・交替で務めている、と崎山さんは指摘する。これら国際的な原子力推進ロビーは、チェルノブイリ後に放射能による被害を小さく見せようと、「エートス」などの活動(放射能による被害を矮小化してその対策をとらず、汚染と共に生きることを住民自らの選択だと思わせ、自己管理させる戦略)を展開した。福島事故後にすぐ現地に乗り込んだ国際原子力ロビーの正体と戦略を検証したのが、コリン・コバヤシさん著の『国際原子力ロビーの犯罪 チェルノブイリから福島へ』(以文社2013年)である。彼はフォーラムの分科会でもエートス問題をとりあげたが、「市民の知らないところで国際機関が動き、放射線防護の規準を甘くしようとしている」と危惧する。この分科会にスカイプ参加した研究者のセシール・浅沼=ブリスさんは、国際原子力ロビーのこの動きを「無知の戦略」と呼ぶ。実際、日本学術会議の放射線防護・リスクマネジメント分科会は、「現在の科学的知見を福島で生かすため」の課題と称する今年9月1日の報告で、「知らない権利への配慮」を語っている。
反核フォーラムの閉会総会では反対に、国際的に甚大な権力をもつ原子力推進勢力が情報を独占し、都合の悪いことは隠蔽し、虚言を真実のごとく広めてきた歴史をふまえて、知ることこそ彼らと闘うための基礎であることが確認された。しかし、情報・知識をもとに効果的な運動をつくれなければ、ロードローラーのように強力な原子力推進勢力には対抗できない。フランスで建設中のEPRに欠陥の部品があるという報道は大きな衝撃を与えたが、一部の市民がパブリックコメントやデモで反対したにもかかわらず、原子力安全局(ASN)は10月、甘い条件つきで使用許可を与えてしまった。
悪いニュースはつづくもので、フォーラム直後、フランスの脱原発の展望は遠のいてしまった。ニコラ・ユロ環境大臣は11月7日、電力生産の原発への依存率を2025年までに50%に減らすという2015年のエネルギー転換法について、期限を2025年より先に延ばすと表明したのだ。原発を多数止めたら化石燃料への依存が増大するから、温暖化ガス排出削減の目標を達成できないと、大臣は原発推進派の言い分を理由にした。これまで複数のNGOが、温暖化ガス削減と原発全廃双方を進めるエネルギー転換のシナリオを提案してきたのだから、法律を制定しても原発廃炉と再生可能エネルギー推進のために具体的な計画をつくらなかったオランド政権と同様、マクロン政権にもその気がないということが、これで明らかになったわけである。
フォーラム終了後の11月5日、核廃棄物最終処分地に予定されているビュールに行く日帰りのバス旅行が希望者に提供された。現地で反対運動をする市民と交流するためだ。ビュールについては語るべきことがたくさんあるので、次の機会に回すことにする。
2017年11月9日 飛幡祐規(たかはたゆうき)