2018年2月20日火曜日

日本の原発訴訟の概要 ・・・ 訴訟は福島事故をきっかけに活発化

 鎮目(しずめ)宰司氏が、日本の原発訴訟の概要が分かるレポートを発表しました。

 福島事故の前から、原発の運転や建設を差し止めようとする裁判が各地で起こりました。その代表的なのは四国電力伊方原発(愛媛県)の裁判で、建設許可取り消しを求めて1973年に地元住民が訴えを起こし、92年に最高裁で敗訴が確定しました。
 福島事故前に係争中だった原発の裁判は全国で4~5件でした。

 福島原発事故後には、同事故関連の裁判が全国約30か所で継続中で、原告総数は1万人余りに及ぶということです
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日本の原発訴訟:福島事故をきっかけに活発化
鎮目 宰司 日本コム 2018年2月19日
2011年3月、世界中に大きな衝撃を与えた東京電力福島第1原発事故。マグニチュード9の超巨大地震による大津波に襲われた第1原発は、原子炉の冷却に失敗して水素爆発を起こした。あれから7年。事故をきっかけに日本では原発をめぐる裁判が活発化し、国や東電が敗れるケースも。多くの日本人が心の奥底に隠し持っていた原発への不信感が、司法の世界にも現れつつある。

福島事故を巡る訴訟「大津波の想定」が争点
原発裁判は「福島事故の責任追及と被害の救済を目指すもの」「福島以外の原発の停止などを求めるもの」に分けられる。国や東電が責任を果たさず怠ったため福島事故が起きたという訴えと、危険性が明白になったのだから他の原発も運転をやめるべきだという「脱原発」の訴えだ。

東京地裁では、東電の元会長と2人の元副社長を業務上過失致死傷罪に問う裁判も進んでいる。事故被害者らの告訴で捜査した検察は不起訴としたが、国民の代表として選ばれた検察審査会の判断で3人が起訴された。
福島事故をめぐる裁判の争点は「国や東電が事故前、大津波が将来起きる危険性を認識できたかどうか」「大津波による重大事故の対策を事故前にとって防げたかどうか」。国とは、原発を審査して運転許可を出していた経済産業省原子力安全・保安院だ。

なぜ、大津波の想定が争いになるのか。
日本の原発の多くは1960〜70年代に建設が始まった。地震学の知見も乏しく、津波シミュレーション技術も十分ではなかった時代。第1原発建設時の津波想定は高さ3メートル余りで、東日本大震災のような10メートルを超える津波を想定することはできなかった。
その後、国内で地震や津波が発生し、少しずつ知見が充実していった。2002年7月、政府機関に参加する地震学者らが報告書を公表し、第1原発のある東北地方の太平洋沿岸ではどこでも大きな津波が発生する危険性があると警告した。この時、第1原発などでも津波シミュレーションを行うよう保安院は東電に求めたが、東電は従わず、保安院も強くは求めなかった
結局、東電がシミュレーションをしたのは08年。津波の高さは最大で敷地が水没する海抜15.7メートルと算出されたが、防潮堤などの設置には動かず、事故直前まで保安院にも計算結果を伏せたままだった。

保安院は「原発を利用するための規制」という大原則に縛られていた上、閉鎖的な世界で長年なれ合ってきたため、電力会社に過剰に配慮する悪癖が身に付いていた。東電には、原発に批判的な「反対派」の市民や、地元自治体の反発を警戒して、不都合なことは隠し通す習性があった。そんな彼らは警告を具体的な危機とは受け止めなかった。

これまでに主な集団訴訟で民事訴訟の判決が出たのは前橋、千葉、福島の3地裁。いずれも02年の報告書時点で国と東電が大津波の危険性を認識できたと判断した。一方で津波対策を怠った責任については前橋と福島は認め、千葉は「対策は間に合わなかった可能性がある」などとして責任を認めなかった。
国も東電も争う構えで、裁判は長引きそうだ。地震や津波、火山噴火といった自然災害は科学的に未解明の部分が多い。いったん国が運転を許可した原発について、研究や調査の進展とともに災害想定を柔軟に見直せるかどうか。どこまで大きな災害を想定する責任があるかが根本の問題だ。

原告総数は1万人
4200人超と最大規模の原告団を擁する福島の訴訟に携わる馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう)弁護士によると、福島事故関連の裁判が行われているのは北海道から九州までの約30カ所、原告総数は1万人余りに及ぶ。多くは被害者が避難先の弁護士に依頼して、国や東電に賠償を求めている。争点はほぼ共通している。

馬奈木さんは「我々の訴訟は福島県を原発事故前の姿に戻すことを求めているほか、脱原発も訴えています」と話す。
「原発は安全かどうか」「比較的少ない放射線が人体に影響するかどうか」いった科学的論争にはあえて踏み込まず、事故被害者の大規模な原告団を組織するというスタイルは、これまで手がけてきた公害問題を巡る裁判と同じだ。工場や鉱山から排出された有害物質が原因で大規模な健康被害を起こした「水俣病」「イタイイタイ病」など、1960年代からの公害訴訟が、放射性物質による汚染を起こした福島原発事故訴訟につながった。

1原発敷地が水没する大津波の危険性を認識していながら国が東電に原発を運転させていたのは「整備不良の飛行機が飛ぶのを認めるようなもの」(馬奈木さん)と主張。福島地裁判決は国の責任を認めたものの、賠償が不十分として原告側は控訴。国や東電も控訴し、舞台は仙台高裁に移った。
「原告団を多くしないと裁判官に主張が響かない。どれだけ多くの人が訴訟に関わるか、世論が高まるかが重要。『主戦場は法廷の外にある』と考えています」(馬奈木さん)

「脱原発訴訟」が全国30カ所で進行
福島事故の前から、日本では原発の運転や建設を差し止めようとする裁判が各地で起きていた。代表的なのは、四国電力伊方原発(愛媛県)の裁判。国の建設許可取り消しを求めて1973年に地元住民が訴えを起こしたが、92年に最高裁で敗訴が確定した。
原発の直近を走る巨大活断層「中央構造線断層帯」が起こす地震を中心に、原発の安全性が本格的に問われた。この流れをくむ裁判「脱原発訴訟」が、全国で約30件行われている(2018年1月現在)。
争点は原発近くの活断層による地震や、火山噴火、津波の想定、事故時の避難計画の不備が主なところ。福島原発事故前から続いているものもあるが、多くは事故後に各地で始まったという。
事故後に多くの弁護士が集結した「脱原発弁護団全国連絡会」の共同代表を務める河合弘之、海渡雄一の両弁護士が脱原発訴訟の中心メンバー。河合弁護士の原発問題担当秘書・松田奈津子さんによると、事故前に係争中だった同種裁判は全国で4~5件だった。

昨年12月、広島地裁が伊方原発の運転差し止めの仮処分を決定。九州の火山で巨大噴火が起きると、海を隔てた四国にある伊方原発に危険が及ぶとして「原発を建設する場所としては適当ではない」との考えを示した。運転を許可した原子力規制委員会からは「やりすぎだ」との声も漏れる厳しさだった。
今では、ほとんどの原発で裁判が起きている。裁判がないのは、東日本大震災で津波に襲われた東北電力と東京電力の原発などだ。中には地方自治体(北海道函館市)が原告になっているケースもある。

河合、海渡両弁護士のチームはこのほか、東電株主が旧経営陣に巨額の賠償を求める裁判の原告団も担う。元会長ら3人の刑事裁判と表裏一体の関係にあり、争点や証拠、証人も似通っている。現に刑事裁判でも、両弁護士は被害者代理人として検察役の弁護士とともに法廷に参加している。
刑事裁判は春以降に証人尋問を集中的に行い、秋までに多くを終える計画だ。証人は20人余り。政府の事故調査委員会が作成した聴取記録や、検察が集めた関係者のメールや内部の議事録、報告文書など大量の証拠書類もある。原発事故の真実にどこまで迫れるのか。市民の関心が集まっている。