2014年12月31日水曜日

避難勧奨地点解除でも生活は変わらず

 南相馬市の特定避難勧奨地点28日に政府によって強引に指定解除されまし
 
 国が行った除染は住宅地域だけに限定されたもので、周囲の山野山林は無処置のまま放置されています。
 それでは一旦除染が行われても、時間の経過とともに再び空間占線量が増加します。それを承知している国は、除染直後に空間線量を測定して、1マイクロシーベルト(8.8ミリシーベルト)以下であることを確認しただけです。
 そういうところに人を住まわせようとする発想が理解できません。
 
 26日の参院会館での住民と政府の交渉で、年間20ミリシーベルトであれば安全だと繰り返す役人に、住民の一人が「健康被害が出た場合は我々官僚が責任を持ちます、と念書に署名して下さい」と一片の紙を清水参事官補佐に突き出したところ、「私の一存では署名できない」と拒否したということです(田中龍作ジャーナル)。
 安全でないからに他なりません。
 
 指定が解除されれば、3カ月の猶予期間を経て賠償金の支払は止まります。
 
 南相馬市の避難者たちは帰還せずに例年通りの年末を迎えました。
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生活変わらず「正月は県外」 南相馬で避難勧奨地点解除
福島民友ニュース 2014年12月29日
 東京電力福島第1原発事故に伴う南相馬市の特定避難勧奨地点(142地点、152世帯)の指定が解除された28日、対象世帯の住民は複雑な表情を浮かべ、見通せない生活再建への不安を口にした。「解除で生活が劇的に変わることはない」。自宅の様子を見に戻った同市の佐藤勝治さん(79)は解除後も変わらない現実に目を覆う。現時点で自宅で暮らすつもりはない。正月も県外で過ごす予定だ。
 原発事故前、佐藤さんが妻厚子さん(74)と長男夫婦、孫の5人で暮らしていた自宅は、指定解除される前と変わらず静まり返っていた。「長男といつ帰るかという話はしていない。自分も踏ん切りがつかない」。市の除染で放射線量は下がったが、自宅の周囲を取り囲む山林は除染が行われていない手つかずの状態。「安心して暮らせる環境にはほど遠い」というのが佐藤さんの本音だ。
 年末年始は長男家族の元で過ごす予定だ。自宅に親戚が集い、笑い声の中で迎える新年は、今年も訪れない。「いつかは昔のようにという気持ちはある。でも家族はここ(自宅)に来たがらないからね」。佐藤さんは寂しそうに笑った。