2014年6月22日日曜日

各地で再稼動反対抗議行動100回目

 20日(金)、佐賀市、長野市、南会津町(福島県)で、毎週金曜日に行ってきた原発再稼動反対の抗議行動が100回目を迎えました。
 最初の抗議行動は2012年7月、当時は民主党政権「2030年代に原発ゼロ」方針を掲げていました。
 それから2年が経ち、安倍政権になってからは原発の早期再稼動の意図を隠さなくなりましたが、抗議行動は粘り強く続けられています。
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「再稼働ノー」県庁前の抗議行動100回目
佐賀新聞 2014年06月21日
 福島第1原発事故を契機に、佐賀市の県庁前で毎週金曜夜、脱原発を訴えてきた抗議行動が20日、100回目を迎えた。歳月とともに事故の記憶は薄らぎ、ピーク時に50人いた参加者も最近は10人程度。それでも参加者たちは「再稼働が迫っている今こそ、ノーの声を結集したい」と力を込める。
 
 午後6時、県庁前の歩道沿いにプラカードや横断幕が掲げられた。「原発いらない」「再稼働反対」。節目のこの日、普段より多い約40人が集まり、声を張り上げた。抗議は1時間。ここ2年間、大雨の日も見られた金曜夜の光景だ。
 
 最初の抗議行動は2012年7月13日。福島事故から1年後、東京の首相官邸前で始まった抗議デモに連動し、玄海原発の立地県でも脱原発の声を上げ始めた。市民運動とは無縁だった人たちも参加し、かつてない広がりを見せた。
 しかし、当時の民主党政権が掲げた「2030年代に原発ゼロ」方針も、政権交代で原発回帰へとかじを切る。安倍首相が原発の早期再稼働への意欲を隠さないのは、事故から3年が経過し、原発問題に対する市民の関心が薄らいでいることも背景にある。
 
 呼び掛け人の豊島耕一さん(66)は「熱を帯びた市民運動はいずれ冷めていくもの。ただ、通行人の反応はむしろ良くなっているし、追い詰められた感じはない」と冷静だ。川内原発(鹿児島県)が全国の原発に先駆けて再稼働の手続きを進める中、「再び反対の声は盛り上がる」。その時まで、こうして立ち続ける。
 
 
長野市で市民団体、脱原発の金曜デモ100回目 
信濃毎日新聞 2014年6月21日
 脱原発を訴える首相官邸前の抗議行動に合わせ、長野市で市民団体「原発に頼らない未来を創(つく)ろうプロジェクト」が毎週金曜日に行っているデモが20日、100回目となった。金曜日には諏訪、伊那、飯田市などを含め全国で抗議行動が続いており、プロジェクトの田沢洋子代表は「日本中にいる仲間の思いの強さを政府に見せたい」と話した。
 
  同プロジェクトは、東京電力福島第1原発事故後の2011年5月から月1回ほど街頭活動を始めた。原発が次々と運転停止する中で、関西電力が事故後初めて、大飯原発(福井県おおい町)を再稼働させた12年7月に毎週金曜日のデモをスタート。年末年始などを含め一度も休まず続けている。
 
  最近の参加者数は20人前後が多いが、この日は約70人が集まり、「再稼働反対」などと声を合わせて中心市街地を歩いた。1年半前から参加する長野市川中島町の大日方篤さん(73)は「(脱原発に)自分一人ではわずかな力しかない。せめてデモだけでも参加したい」と話した。ルート沿いの店から「うるさい」と抗議されたこともあるが、この日行進に手を振った飲食店経営の女性は「活動が続くことがすごい」と話していた。
 
 
福島・南会津 脱原発デモ100回目
 河北新報 2014年6月21日
 福島県南会津町で毎週金曜日に開かれている「さよなら原発集会」が20日、100回目を迎え、参加者は脱原発社会の実現を訴えた。
 集会は東京の首相官邸前で開かれる脱原発集会に触発され、2012年7月始まった。会津鉄道田島駅前に十数人が集まり、駅前周辺約1キロをデモ行進。「原発再稼働反対」「子どもたちの未来を守ろう」と呼び掛けた。
 参加した町内の主婦長谷川幸子さん(66)は「多くの人が避難している福島の現実を見ると、原発の再稼働は絶対に許せない」と話した。
 
 集会の呼び掛け人の元新聞記者岡村健さん(75)は「政府が脱原発を決めれば、集会を続けずに済んだ。原発を持ち続けるのは危険で、廃炉費用を考えると経済的でもない。福島の地から訴え続けたい」と、集会を続ける考えを示した。