2014年6月24日火曜日

原発をなくす湯沢の会総会の報告

 2014年度 原発をなくす湯沢の会総会及びシンポジウムが、22日、下記のとおり開かれました。
   期 日  6月22日(日) 13:3016:00
   会 場  湯沢町公民館 会議室2
 
 以下に概要を報告します。
 2013年度決算報告、2014年度予算を含めて、すべて議案書の通り承認・採択されました(決算及び予算案の詳細報告は省略します)。
 また2014年度役員も全員が留任となりました。
 
第一部  総 
  (総 会 次 第
 1 開会
 2 代表のあいさつ
 3 議事
 報告第1号 原発をなくす湯沢の会2013年度活動報告及び会計決算報告
 議事第1号 2014年度活動計画(案)について
 議事第2号 2014年度会計予算(案)について
 議事第3号 2014年度役員について
 4 当面の課題と活動について
 5 閉会
~~~~~~~~~~~~~~~~~
【議事】
2013年度活動報告報告第1号
 
 昨年6月25日の総会以降、総会で決定した計画に基づき、原発の廃炉を求める署名運動、定例学習会の実施、映画「渡されたバトン~さよなら原発~」の上映などに取組んできました。1年間の活動内容は以下のとおりです。(情勢については、活動計画でふれます)
 
1 署名運動
  2012年度には衆・参議院議長宛の「廃炉を求める請願署名」に取組み、762筆の署名を集めました。 2013年度は、新たに2つの署名運動に取組みました。現時点での到達点は、次のとおりです。
 
 ・東京電力(株)宛 「柏崎刈羽原子力発電所を再稼働させず廃炉を求める署名」
  (原発をなくす新潟県連絡会) 町内196筆.県内58筆 県外133筆 合計387筆
 ・新潟県知事宛 「柏崎刈羽原発の再稼働に反対し廃炉を求める署名」(柏崎刈羽原発の再稼働反対と廃炉を求める会) 町内192筆 県内55筆 県外124筆 合計371筆
 
  署名のスピードが落ちていることや、組織だった動きになっていない事などが問題点としてあります
 
2 定例学習会の実施
   8月から学習会が定例化され、DVD10万年後の安全」の鑑賞を含み5月までに実質的に9回開催されました。テキストによる学習の他、話題となる原発関連情報についても、その都度話し合ってきました。延参加者数は73人です。
   学習テキスト 「原発のウソ」小出裕章著 7回の学習会で終了         、
            「原発事故の理科・社会」安斎育郎 現在学習中
出席者が少ないことは、今後留意すべき課題です。
 
3 映画「渡されたバトン~さよなら原発~」の上映
   昨年中に上映できず、やっと今年4月19こ上映することができました。
    チケット販売数202枚 延来場数146人 アンケート回収数54枚
    会場及び特別カンパ等  48,755円
   「湯沢の会」が、実質的にはじめて町民に知られる機会となりましたので、今後の運動につながっていくと考えられます。
 
4 新しい会員の獲得
    現在会員数96人(最高時115人)  会費納入者数38人
 
5 その他
・会報の発行 N0.2 2013.6.10/ N0.3 7.12/ N0.4 2014.3,10/ N0.5 6.6
・世話人会 5回開催
・映画「放射線を浴びたX年後」鑑賞  南魚沼市さわらび(大和の会主催) 6
  ・湯沢の会ブログヘのアクセス実績 5月末までの累計27,956件、月平均1,970件、今年1月から5月までの日平均56件
 
 
2014年度活動計画議事第1号
 安倍内閣は、今年4月「エネルギー基本計画」の閣議決定を行いました。そこでは、原発を「重要なベースロード電源」と位置付け、原子力規制委員会の規制基準に適合した原発は再稼働をはかることが繰り返し強弁されています。また、この月に任期切れになる原子力規制委員会の2委員の後任として、あからさまな原発推進派を就任させました。さらに、福島原発事故を逆利用しながら、恥ずかしげもなく原発を外国に「輸出」しようとさえしています。
 
 一方、こうした動きとは別に、21日には、福井地方裁判所で「大飯原発再稼働差し止め」の判決が下されました。この判決は、福島原発事故後はじめての司法判断ですが、その内容は、大変明瞭かつ画期的なものです。判決は、「電気を生み出す一手段である経済活動(原発稼働)は、個人の生命や身体、精神などの人格権より劣位に置かれ」、「具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。」とし、「多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じる・・・ことは法的には許されない。」としています。この判決は全国の原発についても当てはまるものであり、今後の反原発運動の「教科書」とも位置付けられるものです。
 日本国内の54基の原発全てが停止してから9か月になります。この事実は、原発の再稼働が不要であることを雄弁に証明してくれています。    
 
 柏崎刈羽原発6,7号機については、原子力規制委員会が審査中ですが、敷地内の断層の問題や、フィルター付きペント設備の性能及び運用などを巡り相当手間どっており、東京電力(株)が目論んでいた今年月からの再稼働は不可能と思われます。しかし、けっして再稼働をあきらめたわけではありません。今後も紆余曲折は予想されますが、私たちとしては「安全審査」の結果がどうであれ再稼働反対の県民世論を大きくしていくことが重要です。
 
 さまざまな動きの中、原発をなくす湯沢の会としては、2014年度も会としての原点(基本的確認事項)である次の点(①「原発ゼロの日本」をめざし、柏崎刈羽原発の廃炉に向けた運動を行います。②原発についての学習を深め、その中身をできる限り多くの人に伝えます。③運動の趣旨に賛同する人を増やします。  を柱とした運動を進めることとします。
 
1 柏崎刈羽原発の廃炉に向けた署名運動のさらなる前進をはかります。
 昨年度から取組んでいる、東京電力(株)宛と新潟県知事宛の二つの署名活動を引続き押し進めます。
  署名目標数
   ・東京電力(株)宛は、全県で15万策を目標とし、湯沢では550策を集めます。
   ・新潟県知事宛は、当面全県で10万策が目標なので、湯沢の有権者数比から400とし、柏崎大集会までを集約目標日とします。
   方法として、現在の会員を訪問し協力を依頼する又はその場で家族から署名してもらうことが考えられます。その他各自のつながりを生かした教祖みや地域を決めて一斉に入るなど、工夫をしながら推進します。
 
2 「24なくそテ原発柏崎大集会」に参加します。
   原子力規制委員会の安全審査が進められている中での、全県を対象とした集会です。
   また、この集会の主催実行委員会には、湯沢の会も参加していますので、湯沢からも参加者を募り大勢で参加しましょう。首都圏などでは、数多くの集会がもたれていますが、湯沢からの参加は難しく歯がゆい思いをしているのが現実です。でも、柏崎なら行けるあるいは行ってみたいという人はかなりいるのではないでしょうか。
  できれば、マイクロバスで出かけましょう。
 
3 定例学習会への参加者を増やします。
   毎月第4火曜日に開催している学習会を引き続き行います。出席者が少なく、固定してきていますので、新たなメンバーの参加を目指します。
 
4 新しい会員を増やします。
   前年度の反省のうえに立ち、常に新しい会員を増やしていくようにします。
   できるだけ、世話入会や学習会で対象者をあげ、担当者を決めて対応するようにするほか、期間を設け集中的に取組むことも考えます。
 
5 その他
   ・柏崎刈羽原発の再稼働の動きに注目し、場合によっては「原発の廃炉」を全町民に向けアピールします。
 
部  シンポジウム
 
演   題  「福島の今と持続可能な社会をめざして」
基調講演  講師 草野謙一郎さん(原発をなくす湯沢の会世話人)
パネリスト  曽根さんご夫妻(伊達市より湯沢町へ自主避難してきた方)
        高波菊男さん(原発をなくす湯沢の会代表)
司会進行  佐藤綾子さん
 
 草野さんの基調講演は、24枚のシートをプロジェクターで表示しながら行われ、豊富なデータが提示されました。
 データ等は最新の貴重なものばかりで、密度が濃く、また格調の高い報告でした。
 
 使用されたシートは下記のような内容でした。中身が推測できるように、一部事務局でタイトルを変更したものがあります。ご了承ください。
 
・福島県民の避難の状況  ・飯館村の除染の現状  ・原発大事故は10年に1回の確率で起きる ・原発は不可逆性のリスク(=回復不能)を持つ  ・原発停止下でも最大電力需要量は賄えている  ・原発のエネルギー効率は低い(=海水を無駄に温めている)  ・原発に経済的優位性はない(4シートを用いて詳細に)  ・バックエンド費用(使用済み核燃料の後処理費用)の推計  ・日本では経済成長は満足=幸せに結びつかない(「成長=幸せ」は成熟社会では成り立たない)  ・エントロピーは増大の一途(すべてのものは無価値なものに変わっていく)  ・原発は持続可能な社会の形成に最も適さない  ・「大規模+集約+非循環型」志向から「小規模+分散+循環」型に転換する必要がある  ・近代合理主義社会から循環型社会へのパラダイムの転換が必要
 
 基調講演のあとのディスカッションには、パネリストとして福島から湯沢に避難されている曽根さんご夫妻が参加されました。
 避難してから既に3年あまりが経ち、生活上その他で大変な苦労がおありのことと思われますが、そうした苦労については全く口にされず、自分たちがどのようにして避難したか、たまに帰る福島の現状はどうであるか、なぜ放射能に汚染されている場所に多くの人たちが留まらざるを得ないのかなどについて、極めて具体的に話していただきました。
 
 曽根さんたちは福島第一原発から60キロ離れたところに住んでおられたのですが、もしも事故が起きたら避難しようと前もって話し合っていたので、最初の数日間は放射能の侵入を防止しながら屋内で退避し、ガソリンが入手できた段階ですぐに新潟県に避難したということです。新潟県内に入ると道々に標識が立てられていて、それに従って真夜中に湯沢町公民館にたどり着き、その夜は和室の間でやすむことができました。
 
 「しかし自営業でない人たちは避難しにくいし、農業に従事している人たちも地域とのしがらみがあってやはり避難しにくい。また家長的存在の人が避難に反対すればやはり避難することが出来ない」などの困難さがあるということでした。
 「子供を持ちながら避難できないでいる親たちの悩みは深刻な筈なのに、一方では放射能の心配を口に出来ないという雰囲気が出来上がっている。いまでは心を許せる人といる場合でも、放射能を話題にすることを避けるようになっている」ということです。
 
 このシンポジウムはとても心に残るものとなりました。