日本の原発政策は使用済み核燃料の始末の点で自己完結していません。その意味で「トイレのないマンション」といわれています。
スタートする時点では、同時並行的に廃燃料の始末も検討を進める積りだったのでしょうが、国策で生み出された「原子力村」の旨みに溺れる中で、マイナス面の方が自然に取り残されたのに違いありません。
核のゴミの処理を追及された安倍政権は、直ぐにも最終の埋設地を探すと開き直りましたが、そんなことが不可能なのは、先年、地層学会がそうした安定的な地層は日本では見つからないと結論を出していることから明らかです。今年に入ってからは、10万年はおろか数百年間安定的に埋設しておく地層も見つからないことが明らかにされました。
中核施設となる青森県六ケ所村の核燃料再処理工場も、1997年の操業開始の予定がもう17年遅れています。高レベル放射性廃棄物を地下に封じ込める最終処分場の見通しは前述のとおりゼロです。
そんな状態なのに再稼動に走るなどは論外の極みです。
福井新聞は、11日、“どうする「核のごみ」 国の決断で道筋をつけよ”とする社説を掲げました。これまでの稼動で生み出された膨大な廃燃料の処置をするためにも、国は再稼動に走る前に、核のゴミをどうするかについて道筋をつけるべきです。
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(社説) どうする「核のごみ」 国の決断で道筋をつけよ
福井新聞 2014年7月11日
東京電力福島第1原発事故を教訓にした新規制基準に基づき、電力事業者は適合審査を経て原発の再稼働を目指している。一方で「トイレなきマンション」と揶揄(やゆ)される「核のごみ」問題も先送りできない。
青森県六ケ所村の日本原燃を視察した。中核施設となる再処理工場の操業はまだ先となる見通し。高レベル放射性廃棄物を地下に封じ込める最終処分場も、候補地すら挙がっていない。
■厳しい10月操業■
日本原燃の再処理工場操業は、1997年としていた当初計画から大きく遅れている。高レベル放射性廃棄物を溶解し、廃液を固めるガラス固化体の工程でトラブルが相次ぎ、昨年5月ようやく試験を終えた。現在、新規制基準の審査中で、当初見込みの10月操業開始は厳しい状況にある。
施設内の使用済み核燃料を受け入れるプールは2951トンを収容。もう満杯に近い。国内の原発では5倍近い約1万4000トンを保有しており、プールに余裕はない。再稼働となれば、使用済み核燃料はさらにたまることになる。
■貯蔵、都会も可能■
東電と日本原電が出資したリサイクル燃料備蓄センター(青森県むつ市)は、使用済み核燃料を再処理するまでの間、中間的に貯蔵するいわば“倉庫”の役割を果たす。昨年8月に貯蔵建屋が完成した。約10トンの燃料をキャスクに収容、288基の貯蔵が可能だ。最終的に2棟で計5千トンを貯蔵、再処理までの50年間保管する計画だ。
同センターは原発外施設で貯蔵・管理する全国初の施設だ。核燃料サイクル政策の前提となるが、今後各原発で再稼働すれば、こうした中間貯蔵施設が各所に必要となる可能性がある。
センター敷地はかつて牧草地であり、建設に当たり規制はないという。地盤に問題がなければ、こうした貯蔵施設が東京など電力の大消費地に設置、貯蔵することも可能ということだ。
■最終処分場どこへ■
「核のごみ」最終処分はさらに難問だ。電力事業者中心に設立した原子力発電環境整備機構(NUMO)が02年から全国公募制を始めたが、進展なく国が前面に出る方向を打ち出した。
国の計画では28年前後に最終処分場を決定する。が、調査だけでも20年を要する。現状は「非常に難しい」(NUMO)という。福島事故もあり、放射線に対する国民の不安はより増している。
理解を得るため、NUMOは全国30の自治体でシンポジウムを開催し始めたが、国民の理解を得て最終処分場決定に結びつけることができるかは未知数だ。
再処理工場、中間貯蔵施設を立地する青森県は「あくまで一時貯蔵」の姿勢を崩さず、最終処分場化することに強い懸念を示す。
原発が抱える使用済み核燃料を再処理するとガラス固化体は約2万本以上にもなる。原発立地地域や自治体に押しつけて済む問題ではない。今秋にも再稼働となる原発。「核のごみ」問題解決へいち早く道筋をつけるべきだ。(踊場 克己)
暫定保管、数百年超は困難 核のごみの報告書案
東京新聞 2014年7月10日
原発から出る「核のごみ」の最終処分に関する日本学術会議の検討委員会分科会は10日、国に提言した「暫定保管」の技術的な課題を整理した報告書案をまとめた。自然災害のリスクなどを考慮すると、数百年を超える保管施設の安全確保は困難としており、9月までに正式決定する。
学術会議は2012年、高レベル放射性廃棄物は取り出し可能な場所で暫定保管し、その間に最終処分の進め方で国民の合意を得るべきだと国に提言した。だが保管期間は「数十年から数百年」と抽象的だったため、実現可能性を検討した。 (共同)