2017年3月11日土曜日

11- 福島原発6年目の現状を記者たちが見る

  事故後6年目の福島第一原発構内の状況を時事通信の記者がレポートしました。
 記者たちは東電が準備したバスで構内を回り、東電職員の説明を聞きました。
 特に新しい内容はありませんが、高線量下のエリアを回る記者たちの緊張が少し伝わってきます。
 問題は一体いつになったら応急対応の一応のけりが付くのかなのですが、それについてはいまだに何の見通しも立っていないようです。
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廃炉へ遠い道のり 福島第1原発
時事通信  2017年3月10日
 そこは、あたかも巨大なインフラ施設の補修現場か、老朽化した工場群の解体現場のようだった。2011年3月11日の事故から6年。廃炉に向けた作業が続く東京電力福島第1原発の構内に入った。
 第1原発は東日本大震災の激しい揺れと津波で、電源を喪失。原子炉内部などへの注水ができなくなり、1~3号機は炉心溶融(メルトダウン)を起こした。増え続ける汚染水との闘いは今も続くが、構内の除染が進み、山側から敷地内に流れ込んでいた地下水も一定程度制御できる状況になったという。
 「さまざまな対策を打ち、人的リソースをかけて労働環境は改善した。今後は本当の意味での廃炉作業フェーズに入っていく」。東電社員らは口をそろえて強調した。(時事通信仙台支社)
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 日は昇っていたが、朝の冷え込みは厳しかった。福島県楢葉町のJヴィレッジ。県南部のいわき市を午前6時前に同僚記者らと車で出発してやって来たが、夜明け前だというのに、常磐自動車道を北上する車線は、車のテールライトの赤い光が川のように流れていた。
 原発や復興事業の現場に出勤するためか、福島の沿岸部被災地をこんなに多くの車両が移動しているとは、想像したこともなかった。
 午前7時5分。東電が用意したバスはJヴィレッジの駐車場を出た。第1原発に向かう途中、国道6号の沿道には、廃墟と化した商店や食堂、パチンコ店などが無残な姿をさらし、人影はほとんどない。わずかにガソリンスタンドとコンビニ店がそれぞれ1軒、営業しているのを車窓から目にしただけだった。
 
作業員6000人
 途中、電力関係の施設1カ所に立ち寄り、東電側のブリーフィングを受けた後、午前8時半前、福島第1原発に到着した。
 敷地に入り、バスを降りると、エントランスが吹き抜け構造の真新しい建物がたたずんでいる。新築された新事務本館だ。昨年10月に完成し、東電社員が勤務している。それまでの事務棟には、協力会社が入っているという。
 構内取材に先立ってまず、新事務本館内で人体の内部被ばくを検査する「ホールボディーカウンター」のチェックを受ける。一人ずつ椅子に腰掛けてボタンを押し、1分間計測。もちろん「異常」なしだった。取材を終えて出る際も、ここのチェックを受けることになる。
 その後、徒歩で「入退域管理施設」と呼ばれる建物に移動。厳重な本人確認など入域手続きを経て、同時に全員がここでスマートフォンを預けて所持品検査を受け、やっとゲート内側への立ち入りを許可された。
 内部の通路を歩いていくと、隣接地には作業員らが利用する大型休憩所と呼ばれる1200人収容のビルがあり、休憩室や食堂が備わっている。ブルーの着衣を身に着けた協力会社の作業員たちが慌ただしく廊下を行き交い、ここが第1原発の構内であることを実感した。
 エレベーターで7階に上がり、東側と北側に円形の窓の付いた視察ルームに案内された。東側の窓からは、水素爆発などで損傷し、がれきの撤去や除染作業が進む1~4号機の建屋が望見され、手前には汚染水をためたタンクがびっしりと並んでいるのが見えた。
 「タンクの数は約900基。構内では1日約6000人の作業員が働いていますが、半分はタンクの建設など水関係で、(原子炉)建屋に関係する作業員は1割ほどですね」。東電社員が窓の外に目をやりながら、説明した。
 
敷地の9割、防護服不要
 大型休憩所の一室で、東電側から屋外で取材するための装備品一式が配布された。APDと呼ばれるポケット線量計、防塵(じん)マスク、軍手、靴下2枚、インナーキャップ、そしてAPDを胸ポケットに入れるためのベスト。それだけだった。今まで必須だった防護服の配布はない。
 「除染作業などの結果、敷地の9割で、防護服や全面マスクは不要になりました。一般服で歩けます」と広報社員が解説する。
 事故からしばらくの間、Jヴィレッジからフル装備の作業員らがバスに乗り込み、第1原発に向かったのが、もはや「過去の話」になっている。
 福島第1原発の敷地は350万平方メートルもあるが、現在は、防護服などの特別の装備が必要なのは、1~4号機の原子炉建屋周辺などに縮小。水素爆発などで構内に飛散した放射性物質は除染され、汚染土ははぎ取られて、地表にモルタルを吹き付ける舗装作業がほぼ終了したことが、放射線量の低下につながったという。
 「休憩室で休んでいる作業員を何人も見ましたが、青い防護服のようなものを着ていました。通常の服で本当に大丈夫なんですか」。カメラマンがすかさず質問する。
 「あれは作業着です。防護服とは違います。屋外の作業で自分の服が汚れないよう、着用しているんです」。東電社員が淡々と答えた。
 ズボンの裾を靴下の内側に押し込んで身支度を終えると、全員階下へ降りた。水色のヘルメットをかぶり、サイズ別に並んだ下駄箱から自分の足に合ったくるぶしまでの黒いゴム靴を選んで、建物の外で待っていた構内移動用のバスに乗り込んだ。
 
眼前に迫る壊れた建屋
 原子炉建屋が並ぶ方向へゆっくりと進むバスの窓から最初に見えてきたのは、汚染水を入れた巨大なタンクの群れだ。グレーの外板のものや水色に塗装されたもの、やや小ぶりのものと、数種類あったが、そのおびただしい数に圧倒される。
 事故で溶けた核燃料を冷やすために原子炉に注水された水と、山側から原子炉建屋の地下に流れ込んだ地下水が混ざり、東電によると現在、1日200トン程度の汚染水が発生する。そうした水を処理装置を使って浄化しているが、放射性物質のトリチウムの処理方法が確立されておらず、タンクにため続けているという。
 従来のボルト締めタンクは組み立てに時間を要さない半面、漏えいのリスクがあることから、溶接型のより容量の大きなタンクへの切り替えを進めているという。ただし、ためた水の最終的な行き場は決まっておらず、汚染水とタンクの「いたちごっこ」は依然、終わりが見えない。
 汚染水の浄化設備があるエリアを抜けた後、バスは右に折れて停車し、初めて車外へ出た。東電社員に案内されたのは、35メートル高台と呼ばれる場所。文字通り海抜35メートルのところにあるのだが、そこに自分の足で立ってみて、思わず息をのんだ。
 被災した1号機から4号機までの原子炉建屋が、すぐ目の前に一望できるのだ。「ここからの距離は約80メートルです」。東電社員があっさりと言う。激しく損傷した構造物の巨大さに圧倒された。
 2月9日のロボット調査で、溶け落ちた核燃料(デブリ)の塊とみられるものが見つかった2号機の原子炉格納容器内の放射線量は、推定で毎時650シーベルトと発表されていた。放射線はほとんど閉じ込められているとはいえ、手を伸ばせば届きそうな距離だ。
 しかも、こちらは防護服も全面マスクも装着していない。あまりの「無防備さ」にいい気持ちはしなかった。
 「(毎時)150(マイクロシーベルト)」。東電社員が線量計の数値を読み上げる。「2号機は水素爆発しなかった分、内部の汚染濃度も高いとみられます」という説明を聞いている最中に、誰かの線量計が鳴り出した
 
「凍土壁」海側は凍結
 1号機は、建屋の上部にある使用済み燃料プールから核燃料392体を取り出すため、建屋を覆っていたカバーが撤去されており、水素爆発で折れ曲がった鉄骨の枠組みなど、大量のがれきが無残な姿をさらしている。
 3号機は、がれきの撤去が終わり、建屋の最上部が取り除かれてフラットになっていた。今後、燃料取り出し用の取扱機、クレーン、ドーム型の屋根などが1年ほどかけて設置されていくという。
 事故当時、定期検査中で運転を停止していた4号機は、既にプールから全ての核燃料の取り出しを完了。建屋はカバーで覆われ、最も落ち着いて見えた。
 2号機の外側では、白い防護服を着た作業員たちが動いているのが見えた。水素爆発は免れたとはいえ、建屋の壁の向こう、放射線量が高い格納容器の中では、カメラやロボットを投入してデブリの状況を探るための格闘が続いているのだ。
 「移動します」。東電社員に促され、バスに乗って移動した先は、冷凍機プラント室。増え続ける汚染水対策の「切り札」として導入された「凍土遮水壁」をコントロールする施設だ。
 凍土壁は、地中の温度を下げて氷の壁を作り、建屋に流入する地下水の量を減らして放射能汚染水の増加を抑えるのが目的。1~4号機を取り囲むように、周囲1.5キロに1メートル間隔で1568本の凍結管を地下30メートルまで埋め込み、冷却液を循環させて土壌を凍らせる仕組みだ。
 液体の冷却材をマイナス30度まで冷やす冷凍機は30台。これまでに300億円以上が投じられた。
 コントロールルームには、凍土壁の凍結状態をモニターするディスプレーが並び、作業員らが監視していた。海側の壁は既に凍結が完了しており、これから山側の壁を凍らせるという。
 東電によると、これまでにタンクや建屋にたまった汚染水は約100万トンに上る。原子力規制委員会は、東電が主張するほどの効果は凍土壁にないとの見方だが、山側も早く凍らせて、とにかく壁を完成させてほしいと思った。
 
海抜10メートルの建屋地盤
 バスはいよいよ、1~4号機の原子炉建屋が並ぶ地盤に向けて、坂を下っていった。坂の途中、タービン建屋だろうか、建物の外壁に、横に線が入っているのが見えた。津波で浸水した跡だという。高台から降りてくると、確かに低く感じた。建屋が立つ地盤は海抜10メートルということだ。
 バスは2号機と3号機の両建屋の間を抜けて港湾側へと進んだ。間近に見る3号機は、側面の壁が大きく破損した部分が残り、爆発当時の面影を引きずっていた。
 「110(マイクロシーベルト)」。3号機の脇を通過するまでの間、東電社員が線量計の数値を読み上げたが、ちょうど真横で「270(マイクロシーベルト)」という値だった。
 「つい最近まで500~600(マイクロシーベルト)だったんですよ」。平然と説明されても戸惑ってしまう。一般人が1年間に浴びる線量の限度は法令で1ミリシーベルトに定められているはずで、2時間とどまるだけで達してしまうレベルだったということか。
 海側設備を右手に、バスはゆっくりと移動した。ここは海抜4メートルの地盤になる。しばらく走って到着したのは、5号機の原子炉建屋だ。当時、5号機は定期検査中で停止しており、電源も確保できたので過酷事故に至らずに済んだ。今回、その中に入ろうというのだ。
 東電の話では、5号機は2号機と同じ構造で、デブリの状況を確認するため、カメラを入れたり、ロボットを投入したりしたルートを説明したいという。つまり、取材場所は原子炉格納容器の中ということになる。
 
5号機の格納容器内へ
 5号機建屋内。原子炉圧力容器を包み込む格納容器には、制御棒駆動機構を外に運び出すために「X-6ペネ」と呼ばれるメンテナンス用の貫通孔がある。通常はハッチ式のふたが固く閉められ、遮蔽されているが、東電は2号機の圧力容器下の状況を調べるため、装置を使って遠隔操作で小さな穴を開け、そこから先端にカメラが付いた棒やロボットを入れたという。
 X-6ペネの位置を確認した後、今度は全員が防護服を着用。手袋は医療現場で使うような密着型のものをもう1枚重ね、靴下は3枚重ねにして、黄色いヘルメットに交換して分厚い壁の向こうの格納容器内部に入った。
 内部は配管や機器類が随所に飛び出しており、非常に狭い。X-6ペネの位置から、圧力容器直下に向けて長さ7メートルほどの滑り台のようなレールが延びており、その上をロボットは自走したものの、堆積物に阻まれる結果となったのだ。
 レールの先、原子炉圧力容器の直下は5号機でも立ち入りは許されていない。しゃがみ込んで、圧力容器を支える基礎部分の小さな開口部をのぞくと、作業用足場の鉄格子を目にすることができた。2号機では、そこにデブリとみられる堆積物があり、格子の一部を壊してさらに底部に落下した可能性もあるが、全体の状況は把握できていない。
 それにしても、こうした作業は、棒やロボットをX-6ペネの穴から入れたり、出したりするのに人力が伴う。作業員たちは格納容器のすぐ外側で、「遮蔽体」と呼ばれる鉛と鉄の壁で放射線から身を守りながら従事するが、長くても20分未満しか居られず、各作業に60人から80人が投入されるという。
 作業員たちが向き合っているのは、強い放射線でカメラも数時間で故障するような空間だ。しかも、格納容器の中は自由に動けないほど狭い。事前にモックアップで練習しての実施というが、彼らの活動はまるで「決死隊」のように映る。