避難指定が4月に解除される富岡町と楢葉町の役場の職員たちは、これまでは郡山市やいわき市に居を構えていました。4月以降は元の町の庁舎などに勤務することになりますが、町が健康で暮らせる環境になっている保障は何もないので、彼ら自身が帰町するかどうかは別問題です。
当面は現在の居住地から通勤することになりますが、例えば郡山市から富岡町までは一般道で90キロ、片道2時間20分掛かります。町が仕立てる通勤バスで通うと、5時起床ー夜10時帰宅(定時退庁が出来ない場合)の毎日が続くことになります。
河北新報が避難指定解除に伴う役場職員の困惑の声を拾いました。
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<原発避難> 4月解除 町職員片道2時間通勤
河北新報 2017年03月06日
東京電力福島第1原発事故による避難指示が帰還困難区域を除いて4月に解除される福島県富岡町で、町職員が長距離通勤に不安を抱いている。町内の本庁舎での業務が6日に再開。仮役場のある福島県郡山市周辺に生活拠点を移した多くの職員が通う。郡山-富岡間は車で片道約2時間。町は6日から通勤バスを運行するが、職員からは「いつまで体が続くか」といった声が出ている。
町によると、町職員は全体で約140人。現在の郡山勤務者ら新たに約90人が4月から町内勤務となる。郡山-富岡間は国道288号など一般道で90キロ前後、常磐自動車道などを利用するルートで約130キロ。通勤バスは渋滞の少ない一般道を走る計画だ。
約90人全員が乗車できるよう、町は大型2台の運行をバス会社に委託。悪天候を想定し、マイカー通勤者も乗車可能にする。所要時間は三春町での停車を含め片道2時間20分。富岡行きは午前6時に町役場郡山事務所を出発する1便のみ。帰りの郡山行きは午後5時45分と同7時半発の2便だ。
郡山市に再建した自宅に家族5人で暮らす50代の男性幹部は「毎朝5時起床、夜10時すぎの帰宅となる」。それでも母が市内の病院に入院し、父も通院中のため「妻一人を自宅に残しておけない。単身赴任は難しい」と語る。
若手女性は「マイカー通勤は精神的にも体力的にも無理。ただ残業で帰りのバスに乗り遅れたらと思うと心配」と言う。
マイカー通勤を選択する職員も。小中学生の子どもを持つ40代男性は「子どもが病気をしたときなどに対応できる」と判断した。
マイカー利用には通勤手当があるが、上限は距離80キロの月額4万6500円で、原発事故前から変わっていない。30代の男性職員は「ガソリン代をはじめ維持費で足が出る。実態に見合っていない」とぼやく。
「帰還困難区域に家がある」「町内の自宅のリフォームが終わらない」「子育て環境が整わない」「低線量被ばくへの不安が拭えない」。職員も町民と同様、町に戻りにくい事情をそれぞれ抱える。
町職員労組は「単身赴任をしても出費は増える。こうした勤務形態が続けば、若手らの離職につながる」と危機感を募らせる。
町は来年3月末までの予算約3000万円を確保し、バス運行を1年間は続ける方針。女性職員の一人は「長距離通勤を1年間、頑張れるかどうか。その後は富岡に戻るか退職するか考えねばならないかもしれない」と打ち明ける。
町は4月から町内のアパートを借り上げ、単身赴任者用宿舎も用意する。伏見克彦総務課長は「何が正解かは分からない。バス予算をどこまで投入できるかという問題もある。どこかの時点で町の近くに住むなどの選択をしてもらわなければならないと思う」と険しい表情を浮かべた。
<避難解除> 帰還求める楢葉町 困惑の職員
河北新報 2017年03月06日
東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示の解除を迎えた自治体の職員は、職務と生活のはざまで悩む。今春を「帰町目標」に掲げる福島県楢葉町では、職員が町当局に帰還を強く求められている。町は歳出抑制を理由に通勤手当の削減も検討する。率先垂範を迫られた職員にも長期避難で生じた家庭の事情があり、困惑が広がっている。
楢葉町は2015年9月に避難指示が解除された。今年4月には小中学校が町内で再開し、帰町者が増えるとみられるが、今月3日現在では818人、帰還率11.1%にとどまる。
町によると、本庁舎の職員約100人のうち町に住むのは35人ほど。子どもの学校や親の介護・通院といった家庭の事情、自宅の修繕遅れなどで、福島県いわき市に避難を続ける職員が多い。
松本幸英町長は今年の年頭訓示で「職員は町民の先達として早期に避難生活から脱却し、町内での自立した生活を示す立場にある。私も先頭に立ち、時には心を鬼にしながら進める」と述べるなど、職員の帰町に強いこだわりをみせる。
大和田賢司副町長は「どうしても無理な事情があれば仕方ないが、町が帰町目標を掲げた以上、職員が戻って町民を迎えるのが本来の姿。職員が住むことで町民の不安解消にもつながる」と説明。単身ではなく、家族で戻ることを促す。
楢葉町では危機管理策として昨年12月から3月までの予定で、職員が輪番で10人程度、町内の自宅などに宿泊している。業務外で手当もないが、町の宿舎は設備が不十分のため自費で宿泊施設に泊まる職員もいるという。
原発事故後、業務量や負担は増大している。職員からは「避難していても責任を持って仕事をしている」「いずれ町に戻るが、今は家庭的に難しい」「帰町しなければ職員にふさわしくないと思われたら、つらい」などの声も漏れる。
自治労県本部は「自治体当局は職員の人事権を握る。帰還の働き掛けが強制や圧力と感じられるようならば、職員の意欲をそぎ、住民サービスにも影響しかねない」と指摘する。