避難指示解除の目安が年間被曝量20mSvというレベルが、どんなに危険なものであるかについては当ブログでも繰り返し述べてきました。
今般、飯舘村、浪江町、富岡町、川俣町(山木屋地区)で避難指示が解除されましたが、浪江町の公民館で行われた住民懇談会で、原発で長年働いてきた作業員たちは口々にそのレベルではとても生活できないと述べました。
週刊朝日の記事がブログDot.に載りましたので紹介します。
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原発作業員が訴える 安倍政権の避難指示解除の欺瞞
Dot. 2017年4月5日
週刊朝日 4月14日号
福島県の飯舘村、浪江町、富岡町、川俣町の山木屋地区で3月末日と4月1日に放射線量の高い帰還困難区域を除き、避難指示が解除された。国は、放射線量が年間20ミリシーベルトを下回り、住民が生活できる環境になったというが、原発で長年働いてきた作業員たちは異を唱える。
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福島第一原発などで管理職として30年以上働いてきたE氏(51)は浪江町民だ。衝撃の告白を聞こう。
「今回、避難指示が解除された地区には、地表で除染基準の86倍にあたる毎時20マイクロシーベルト、土の汚染も平米当たり数百万というとんでもなく放射能汚染された場所がある。これは原発内で最も放射能汚染された『D区域』と呼ばれる場所と同レベルです」
今回、解除された地区はいずれも被曝する環境にあるとして、住民が戻ることは危険だと訴える。さらに同じく浪江町に住むK氏(52)もこう証言する。
「私らがD区域で作業をする際に、どれだけ重装備をするか。まず手袋と靴下を二重三重にして、その上から長靴を履く。着るものは使い捨ての汚染防止服。その上から厚手のカッパを羽織ることもある。呼吸から放射性物質を取り込まないよう、顔には防毒マスクのような形をしたマスクを着けます。さらに放射線量が高い場所では、線源に鉛シートをかぶせて作業員の被曝を抑えます」
つまり、4月から飯舘村、浪江町、富岡町などに帰るのであれば、同じような装備をしなければ危険だという。あくまで「年間20ミリシーベルトまでは安全」というのが国のスタンスだが、K氏はこう言う。
「国に騙されていますよ。原発内では通常、被曝線量を1年間で20ミリシーベルト以下に管理しています。これは法律で5年間の被曝限度を100ミリシーベルトと定め、それ以上は危険としているからです。仕事でやむを得ず被曝するのでもそうなのに、なんで一般人がそれと同じだけ被曝させられるのか。もし同じ扱いというのなら、帰宅した住民に原発作業員のように管理区域手当を出し、内部被曝を確認するホールボディーカウンターを定期的に受けさせないとおかしい」
国の政策は矛盾だらけだ、とE氏も続ける。
「私の実家は帰還困難区域にあり、いまでも車の中ですら毎時9マイクロシーベルト以上です。1年間暮らしたら78ミリシーベルト被曝します。累積で100ミリシーベルトを被曝したら健康に被害が出ます。ということは、鉛で放射線源を遮蔽(しゃへい)するレベルなのです。そんな危険な場所のすぐそばに住民が戻ってくる」
K氏の実家も似たようなレベルだという。
「除染が終わっていても、家の周りに毎時5マイクロシーベルトを超える場所がある。私には小学生の子供がいるし、浪江町の家に戻って暮らすことはあり得ません。原発労働者なら、放射線量が高い場所に人が住んではいけないことはわかっている。それなのに、一般の人が放射線のことを何も知らないのをいいことに、安全だと言っているのです」
では、なぜ国は人を急いで帰すというのだろうか。
「いまの状況で本気で帰りたいと考えているのは一部の高齢者ぐらい。これでは年寄りばかりが戻ってきて、限界集落になるばかりです。復興どころではありません」(E氏)
富岡町の場合、東京電力の都合もあったという。福島復興本社として使っていた「Jヴィレッジ」(広野町・楢葉町)は、東京五輪でサッカー日本代表のトレーニングセンターに使われることが決まり、返還しないといけないという。
「東電は3月7日に富岡町にある浜通り電力所に機能を移しましたが、社員向けの生活インフラを整えるためにもまず避難指示を解除する必要があったのです」(K氏)
これでは誰のための住民帰還なのか。(桐島瞬)