福島原発事故で神奈川県内に避難した175人が国と東電に損害賠償を求めた集団訴訟で、25日、事故前に同原発の耐震審査をしていた保安院の安全審査官が証人として横浜地裁に出廷しました。
調査官は09年に869年の貞観地震と同規模の地震が起きた場合の津波の高さの試算を東電に指示し8m台の回答を得たため、「具体的な対応を検討した方が良い」といったものの地震発生の切迫性もなかったとして「ただちに対応すべきだと考えていなかった」と述べました。
そして「震災前は知見が確立されて初めて対策をするという考えだったが、この考えでは事故は防げない」、と当時の規制の考え方の問題を認めました。
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「津波対策は必要と考えず」 原発訴訟口頭弁論で元保安院職員が証言
東京新聞 2017年4月26日
東京電力福島第一原発事故で県内に避難した六十一世帯百七十五人が国と東電に約四十億七千万円の損害賠償を求めた集団訴訟の口頭弁論が二十五日、横浜地裁であった。事故前に同原発の耐震審査をしていた国の職員が証人として出廷し「津波についての知見は確立しておらず、対策がただちに必要とは考えていなかった」と証言した。
証言したのは、事故時に原子力規制を担っていた旧原子力安全・保安院で、二〇〇六~一二年まで安全審査官だった名倉繁樹・原子力規制庁安全管理調査官。
名倉氏は〇九年八月、東北地方に大津波をもたらした八六九年の貞観(じょうがん)地震と同規模の地震が起きた場合、原発に達する津波の高さの試算を東電に指示。
翌九月に八メートル台と聞き、「原発がある十メートルの地盤に達しないが、具体的な対応を検討した方がよいと言った」と証言した。ただ、当時は貞観地震の知見は確立されておらず、地震発生の切迫性もなかったとして「ただちに対応すべきだと考えていなかった」とした。
一方で、「震災前は知見が確立されて初めて対策をするという考えだったが、この考えでは事故は防げない」と当時の規制の考え方の問題を認めた。事故後はより厳しい考え方に変わったと述べると、原告側代理人に「当時もできていれば良かったか」と尋ねられ、「はい」と答えた。
この訴訟で原告側は、貞観地震を巡る東電の試算により遅くとも一〇年には巨大津波の予見可能性はあったと主張。これに対し、国や東電は「津波の高さを予測するモデルが確立しておらず、予見可能性はなかった」と反論している。
閉廷後、「福島原発かながわ訴訟原告団」の村田弘団長は「切迫性が証明されない限り何も対策を求めないなら、いつまでたっても対策はできない。国の規制がいかに実体のないものだったかを証言していた」と憤りをあらわにした。 (加藤益丈)