元裁判官の瀬木比呂志・明治大学法科大学院教授は、2015年1月に出版した著書『ニッポンの裁判』(講談社現代新書)で、「最高裁判所事務総局は、原発訴訟について、きわめて露骨な却下、棄却誘導工作を行っていた」と批判しました。それは原発商業利用の初期だった1976年10月と、本格的な拡大期だった1988年10月にそれぞれ行われた裁判官協議会の関連資料からも読み取れということです。
そもそも日本の司法の反動化は少なくとも昭和30年(1955年)代には司法修習所などで始まっていたといわれています。
瀬木氏は、2016年10月には「黒い巨塔 最高裁判所」を著わして、司法が政治に従属していることと日本の裁判所は最高裁事務総局が牛耳っていることを明らかにしました。。
その出版に当たり、2016年10月と12月に同氏にインタビューして「最高裁がひそかに進める原発訴訟『封じ込め工作』」(要旨)とする記事を出した現代ビジネスが、3月28日、大阪高裁が、高浜原発稼働を差し止めた大津地裁の仮処分決定を取り消し関西電力に再稼働を認める決定を出したのについて、再度同氏にインタビューを行いました。
瀬木氏は、「差止め判断が高裁で覆ったことで、今後の原発訴訟の方向性にも暗い影が差した」「統治と支配の根幹に関わるような裁判において勇気ある判決が出しにくいのが現状」「最高裁で差止めが認められる可能性は、きわめて低いといわざるをえない」と述べているものの、「最高裁は、今回の大阪高裁の判断が世論からどのように受け止められるのか、固唾を呑んで見守っているはず」とも述べています。
司法は事実上体制側=政府側に従属はしているものの、強い世論があればやはりそれに大きな影響を受けるのはこれまでも見られたことです。
反原発の動きがますます隆盛に向かうことこそが望まれます。
(関係記事
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司法が露骨に原発再稼働を後押し! 大阪高裁「反動判決」の意味
再稼働容認がドミノ倒しのように…
瀬木 比呂志 現代ビジネス 2017年4月1日
(明治大学教授 元裁判官)
3月28日、大阪高裁は、高浜原発稼働を差し止めた大津地裁の仮処分決定をあっさりと取り消し、関西電力に再稼働を認める決定を出した。
実はこうした動きをピタリと予見していた小説がある。司法の「闇」を描いて話題の『黒い巨塔 最高裁判所』(瀬木比呂志著)だ。ここに描かれた近未来予測が、いままさに現実のものになろうとしているのだ。
それもそのはず、作者の瀬木氏は元エリート裁判官。一般にはうかがい知ることのできない司法の世界、そして裁判官という人種を知り抜いている。これまでも、日本の裁判所と裁判のいびつな構造を次々に告発してきた。
そこで今回の大阪高裁の決定をどう読み解けばよいのか、瀬木氏に緊急インタビューした。彼は、今後、原発再稼働を容認する判断がドミノ倒しのように続く可能性が高いと悲観的な予測をする。
原発事故前に逆戻り
――昨年3月、大津地裁(山本善彦裁判長)が、滋賀県の住民が、関西電力高浜原子力発電所3、4号機の運転差止めを求めた仮処分申請を認め、原発の稼働を差し止める仮処分を出しました。
しかし、大阪高裁は、この画期的な決定を簡単に覆しましたね。
瀬木さんは以前から、原発稼働差し止めを認める判決・決定はむしろ例外的なもので、福島第一原発事故後の司法、政治、「空気」がこのまま変わらないならば、今後は国、電力会社寄りの判断が増える可能性が高いと予想されていました。結果的に瀬木さんの予測が当たったわけですね。
瀬木 『黒い巨塔』においては、架空のパラレルワールド小説という形で、原発訴訟の方向についての一つの詳細なシミュレーションを提示したわけですが、どうも、現実の流れは、そのまま小説をなぞっているような気がしますね。
原発に反対する人々は、大阪高裁の担当裁判官はこれまで比較的リベラルな判決を出してきたとして、高裁でも差止めの判断が維持されることをと期待していたようですが、私は、かなり懐疑的でした。
福島第一原発事故以降、司法研修所で、原発訴訟についての裁判官研究会が2回開催されています。
1回目は、原発事故から約10ヵ月後の2012年1月です。この研究会では、事故前の原発訴訟のあり方が世論に強く批判されていたことから、電力会社寄りの露骨な誘導はなく、むしろ、世論の猛反発に、ある程度統制の手綱をゆるめるような方向が示されていました。
しかし、これからさらに1年余り後の、2013年2月に行われた2回目の研究会では、強力に「国のエネルギー政策に司法が口を差し挟むべきではない。福島原発事故以前の最高裁伊方原発訴訟判決の枠組みにより、しかし、より『ていねいに』判断すべきだ。ことに仮処分については消極」という方向性がはっきりと打ち出されています。
僕の入手している資料でも、シンポジウム形式のパネラー発言者(講師)である学者等の氏名が黒塗りされているのですが、名前を出したらその学者等の評価はたちまち地に墜ちるだろうと思われるような露骨な、国、電力会社寄りの誘導発言をしている人が大半なのです。
また、1回目の研究会とは異なり、裁判官たちの発言は限られ、講師らの発言に迎合的なものが多いです。
こうした研究会の結果、ことに1回目のそれと2回目のそれの落差については、原発訴訟を担当している裁判官たちも当然承知しており、最高裁の態度が「運転差止め消極」の方向に定まったのは、ヒシヒシと感じているはずです。
報道された決定要旨を読む限りでは、大阪高裁の決定は、2回目の研究会の方向に沿うもの、最高裁の意向を汲んだものになっています。
福島第一原発事故後のそういう方向の判断の集大成という感がありますね。大筋は、「原子力規制委員会の新規制基準に適合していれば再稼働は問題ない」というロジックです。新規制基準の合理性まで一応判断しているところが「ていねい」ということなのでしょう。
つまり、「最高裁の伊方判決の判断枠組みに戻り、国の判断に合理性があるか否かという観点から審査を行う。被告側は安全性について一応の立証を行えば足りる。判断自体はていねいに行うが上記の判断手法は変えない。新規制基準が不合理だと立証する必要は原告側にある。ことに仮処分については消極」というロジックですね。
それを集大成している。
――『黒い巨塔』では、最高裁長官が「原発は止めん。それがわしの意志だ!」と断言して、露骨かつ巧緻な誘導工作を強力に展開してゆきますが、リアルワールドでは、私たちは、最高裁内部でどのような議論が行われているのかはわかりません。
しかし、客観的事実を見る限り、大阪高裁決定は、最高裁の意向に沿ったものとなっているようです。まさに瀬木さんが小説世界で想定されていたとおりですね。
瀬木 今回の高裁判断は、差止めを認めた地裁判断についての初の高裁判断、しかも東京高裁と並ぶ大高裁の判断ということで、私も非常に注目していましたが、やはり、差止め消極方向のものでしたね。
差止め判断が高裁で覆ったことで、今後の原発訴訟の方向性にも暗い影が差した印象です。
露骨な人事で現場に圧力
――今後、ドミノ倒しのように同様な判断が相次ぐのでしょうか?
瀬木 その可能性もありますね。
――最近の最高裁は、瀬木さんが『絶望の裁判所』や『ニッポンの裁判』で詳細に分析されたとおり、権力、原発訴訟でいえば政権や電力業界におもねるような露骨な誘導を行っているように感じます。
瀬木 かつての最高裁には、権力との間に一定の緊張関係を保っている部分もあったと思うのです。しかし、2000年代以降は、より直截的に権力におもねり、むしろそれを利用するような方向性が出てきていますね。
――そうですね。典型的なのが、最高裁事務総局に勤務した裁判官に原発訴訟を担当させた2015年の人事です。
瀬木 はい。高浜原発についての、福井地裁の樋口英明裁判長によるもう一つの差止め仮処分(2015年4月)を取り消した決定(同年12月)に至っては、異動してきた3人の裁判官すべてが、最高裁事務総局勤務経験者だったのには、本当に驚きました。
これが偶然的なものだとしたら、宝くじ上位当選レヴェルの確率です。実に露骨。
これまでにも、最高裁は、内部の人間、それも最高裁の内情や権力の仕組みをよく知っているような人間にしかわからないようにカモフラージュした巧妙な人事や議論誘導で、裁判官や判決をコントロールし続けてきましたが、こと原発訴訟については、外部の人間でも一目でわかるようなストレートかつ乱暴な人事を強行する傾向があり、この人事はその典型です。
メディアがこれを批判しないのもおかしいですね。
――ネットでは、ある弁護士が、今回の判決を出した担当裁判官は次期大阪地裁所長になる可能性もある人物だと予想しています。こうしたポジションにある裁判官がもし差止め判断を出せば、その後の出世を棒に振る可能性がありますね?
瀬木 差止めの判断を出せば、人事面で不遇になるのは避けられないでしょう。大地裁の所長や高裁長官にはまずなれないでしょうね。
福井地裁の樋口裁判官は、大飯原発差止め判決を出して名古屋家裁に異動になり、異動の直後に、職務代行で高浜原発差止めの仮処分を出しました。
樋口裁判官のこの異動は、この人のこれまでの経歴を考えれば、非常に不自然です。地裁裁判長を続けるのが当然のところで、急に家裁に異動になっているのですから。
キャリアのこの時期に裁判官が家裁に異動になる場合は、いわゆる「窓際」的な異動の例が多いのです。また、そういう裁判官については、過去の経歴をみても、あまりぱっとしないことが多い。
しかし、樋口裁判官の場合には、そういう経歴ではなく、この家裁人事は、「青天の霹靂(へきれき)」的な印象が強いものだと思います。
――瀬木さんがおっしゃったとおり、第一に地裁の裁判の現場から引き離す、第二に見せしめによる全国の裁判官たちへの警告、という2つの意図がうかがわれますね。
瀬木 はい。この人事の本質は、全国の裁判官、とりわけ原発訴訟担当裁判官に対しての、はっきりとした「警告」でしょう。
この異例の人事のもつ意味は、どんな裁判官でも、ことに、人事異動や出世にきわめて敏感な昨今の裁判官ならなおさら、瞬時に理解します。原発稼働を差し止める判決、仮処分を出すような裁判官は、人事面で報復を受ける、不遇になる可能性が高いのだと。
その名前が広く知られ、支持されることになった先の樋口裁判長でさえ、しかも直後の異動で、それをやられているのです。こうした状況で、差止めの判決、決定を書くには、自分の未来を賭す覚悟が必要です。
「絶望の最高裁判所」が作り出す絶望の連鎖
――今後は、差止め判決、決定はもう出なくなるのでしょうか?
瀬木 原発事故の前後を通じ、これまでに差止めの判断を行ってきたのは、いわゆる東京系の裁判官たちではない、また、勇気ある人々です。
そういう人々もまだ存在するとは思いますから、皆無になるとまでは思いませんが、難しくなることは確かでしょう。いわゆる官僚裁判官では、絶対に差止め判決は書けませんからね。
原発訴訟に限った話ではありませんが、定年の65歳までもうそれほど長い任期は残っていない50代半ばくらいより上の裁判長でないと、広い意味での「統治と支配の根幹」に関わるような裁判について勇気ある判決が出しにくい。これだけは、日本の裁判所の厳然たる事実です。
――原発差止めの裁判(判決、決定)についても、いずれ最高裁で新たな司法判断が下ることになると思いますが、いかがでしょう。
瀬木 司法研修所で行われた2回目の研究会の内容や、原発訴訟をめぐる裁判官人事から推測すると、最高裁で差止めが認められる可能性は、きわめて低いといわざるをえないでしょうね。
そして、やがて、原発再稼働を正面から認める最高裁判決が出れば、それに反する判断はさらに出しづらくなるでしょう。
日本の原発の構造は基本的に同じで、立地や技術上の問題点も共通していますから、原発が違っても、司法判断を下す上での基本的な考え方、法的な枠組みや論理構成はほぼ同じなのです。
したがって、差止め判決が高裁や最高裁でオセロゲームのように覆されるのを目の当たりにすれば、気概のある裁判官でも、現状に絶望して、差止めを認容する判決、決定をしなくなるかもしれません。
――まさに「絶望の裁判所」ですね。大阪高裁の決定は、原発訴訟の分水嶺となる重要なものと思われますが、メディアや世論の反応はかなり鈍いようですね。
瀬木 福島第一原発事故から6年が経ち、鮮烈だった記憶も薄らいできているのでしょうか。山本七平氏のいうところの「空気」が変わってきた。メディアも、判決の要旨と反対派の意見を淡々と紹介する程度です。
最高裁は、今回の大阪高裁の判断が世論からどのように受け止められるのか、固唾を呑んで見守っているはずです。
勇気ある裁判官を見殺しにするな
――もし、特段の反発もないようであれば、今後は、原発再稼働を認める判決、決定を次々に出すように誘導していく可能性もありえますね。その意味で、今はきわめて重要な時期だと思うのですが。
瀬木 はい。世論やメディアの批判が必要ですね。
僕は、原発に関しては、推進派、反対派などといった二項対立的な図式で色分けして考えるべきではないと思っています。
唯一の問題は、「日本の原発が、まずは間違いなく安全であるといえるか。再び悲惨な事故を起こさないといえるか」という問いであり、この問いに明確にイエスといえるような状況ができているか否かだけが、問題だと思います。
僕自身、元裁判官の学者ですから、そうした観点から、また、白紙の状態から、客観的に、この問題を考えてきました。
そういう検討を経て、僕は、福島第一原発事故は、日本の原発に関するずさんな安全対策、危機管理の結果としての人災という側面が大きく、また、その原因究明も不十分、にもかかわらずなし崩しの再稼働への動きが進んでいるというように、現在の状況をみています。
また、原子力規制員会の新規性基準が「日本の原発が、まずは間違いなく安全である」といえるほどに厳格なものなのかにも、疑問を抱いています。
「全電源喪失は30分以上続かない、日本では過酷事故は起こらない、日本の原発の格納容器は壊れない」などという、欧米の知識人が絶句してしまうような日本の原子力ムラの「常識」は、はたして根本的に改められたのだろうかということです。(了)
瀬木 比呂志 プロフィール
1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1979年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年、明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法、法社会学の研究者。著書に、『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(ともに講談社現代新書)、『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等多数の一般書、専門書のほか、関根牧彦の筆名による『映画館の妖精』『対話としての読書』等がある。『ニッポンの裁判』により第2回城山三郎賞を受賞。