原子力規制委員会は19日で発足5年目を迎えました。
規制委は当初規制基準を「世界一厳しい云々」と述べましたが、そうでないことは欧州の基準との比較ですぐに明らかになりました。自らが新たに制定した「火山条項」も事実上有名無実になりました。
規制委は様々なポーズは取りましたが、結局は次から次へと再稼働を容認する機関であることが暴露されました。
Sankei BIZの記事を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
規制行政、信頼回復は道半ば 委員会発足5年、原発5基再稼働に評価も
Sankei BIZ 2017.9.18
東京電力福島第1原発事故を教訓に設置された原子力規制委員会は19日で発足から5年。原発再稼働の前提となっている審査では、「世界一厳しい水準」と自負する事故防止対策を電力事業者に課す一方で、5基の原発が再稼働し、与党内からは「順調だ」との声も上がる。ただ、原子力規制行政への国民の厳しい視線は変わらず、信頼回復には、より踏み込んで説明責任を果たすことが求められる。
批判や不満集中
規制委は第1原発事故後、原子力利用を推進する経済産業省にあった規制部門の原子力安全・保安院を分離し、原子力安全委員会などを集約して2012年9月に発足。かつて「規制のとりこ」だったとの批判を受け、独立性を高めるため国家行政組織法3条に基づく「三条委員会」とした。
13年には新規制基準を策定。電力各社は莫大な利益を生む原発の早期再稼働を目指し競って審査を申請したが、どの程度の地震や津波の対策工事が必要なのか、規制委と電力双方が「安全の相場観」を手探りする中、審査は難航。九州電力川内原発1号機(鹿児島県)が全国で初めて再稼働したのは15年8月だった。
規制委がこうしたスタンスを取ったのは、第1原発事故前は電力と推進官庁、地元自治体が原発のもたらす利益をめぐってもたれ合い、規制当局も取り込まれていたことへの反省からで、どこからも一定の距離を保つことに腐心した結果だった。
「審査が厳しすぎる」と電力の不満の声が相次いだ。「なぜ、地元に説明がないのか」。立地自治体からは不信感をぶつけられた。「再稼働をなぜ認めるのか」と反対派の市民団体は抗議を寄せた。産業界に近い与党幹部は「独立と孤立を取り違えているのではないか」と批判。規制委幹部は「どこからも石を投げられ、四面楚歌だった」と振り返る。
しかし、批判や不満を一手に引き受ける規制委を首相官邸は高く評価。「厳し過ぎる」審査に合格すれば安全性の担保になるからだ。18日に任期満了となり22日まで職務を続ける田中俊一委員長に一時は慰留を求めた。
「柏崎」最大焦点に
一方で、今年1月には「事故前への回帰ではないか」との批判が上がる人事が明らかになった。事務局トップの原子力規制庁長官に、経産省出身の安井正也氏が就任した。田中氏の路線を踏襲する方針の更田豊志次期委員長のかじ取りが注目される。
今後の最大の焦点は、事実上の審査合格方針を決めた東電柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)への対応だ。規制委はいくつかの条件付きだが、東電が原発の運転者として信用できるとお墨付きを与えた。国会での厳しい追及は避けられない。
2基をめぐっては政府・与党内も、東電の経営改善のために審査に合格させ、早期に再稼働させるべきだとの意見と、世論に配慮する慎重意見で割れている。ただ、新潟県の米山隆一知事は、再稼働への地元同意判断には第1原発事故の検証が必要で「3~4年はかかる」と表明しており、再稼働時期は見通せていない。