原子力規制委の田中委員長は、東電の原発における「安全文化」を厳しく批判し、トリチウムを含む廃水の処理については東電に全く主体性が見られないと極めつけていました。それが突然 6日の審査会議で柏崎刈羽原発を合格させることを表明しました。
18日で委員長の任期が切れる前にそそくさとケリをつけようとするのは何とも納得がいきません。
愛媛新聞が、「根拠のない拙速判断許されない」とする社説を掲げました。
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社説 東電柏崎原発「合格」へ 根拠のない拙速判断許されない
愛媛新聞 2017年9月5日
東京電力柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)が、再稼働の前提となる原子力規制委員会の審査に「合格」する見通しとなった。東電は言うまでもなく、福島第1原発事故を起こした当事者である。事故は収束せず、検証も不十分なまま。未曽有の災害を招いた責任を自覚しているとは思えない。拙速な判断は将来に禍根を残すことになろう。
規制委の田中俊一委員長は、東電の原発事業者としての「適格性」を疑問視してきたはず。7月には「福島の事故処理を主体的にできない事業者に再稼働は認めない」との姿勢を示していた。ところが先月末、東電が「廃炉をやり遂げる覚悟」を明記した文書を提出したことを評価、突然容認に傾いた。汚染水の処理方法を政府に一任し、事故処理に多額の国費の投入を求める状況のどこに「主体性」があるのか理解し難い。規制委の「変心」は到底認められない。
結論を急ぐ背景には、今月18日に退任する田中氏が任期中に重要課題に道筋を付けたい強い意向があったとされる。一方で経営難の東電は柏崎刈羽原発再稼働を再建の柱に据え、一日も早い審査合格を目指している。今回の駆け込み判断は「東電救済のため」と勘繰らざるを得ない。スケジュールありきの拙速判断を許せば、規制委の信頼は根こそぎ失われる。
適格性を巡り、規制委内にも慎重論はあった。だが審査は原発施設の安全対策の妥当性を評価するもので、適格性の判断を求められていないとの意見に押し切られたといえよう。事業者の安全意識や運転体制をチェックしなければ、安全性は担保されない。施設や「覚悟」といった空疎な文言だけで評価できるはずもない。適格性の有無を加味した厳格な審査を求めたい。
審査では、東電の不誠実さが目立つ。免震重要棟の耐震不足を3年前に把握しながら報告せず、防潮堤の地盤が地震で液状化する恐れがあることも指摘されるまで認めなかった。社内の連携不足が原因としていることからも、福島の事故の教訓を生かそうという姿勢は見えない。「隠蔽(いんぺい)」を繰り返し、信頼が失墜している会社に原発を運転する資格があるとは思えない。
そもそも再稼働に必要な「地元同意」が得られる見通しはない。新潟県の米山隆一知事は福島の事故の検証がなければ再稼働の議論はできないとし、独自の検証作業には「3、4年かかる」と慎重な姿勢を崩さない。東電は国民の多くが原発を不安視している現実を直視し、原発に頼らない経営を目指す方向にかじを切らねばなるまい。
政府は「規制委が安全と判断した原発は再稼働していく」と繰り返している。その規制委は個別原発の安全審査が役割だと強調し、避難計画の実効性の検証に関与しようとしない。有効性が保証された避難計画が立てられない以上、原発はなくすべきだ。なし崩しの再稼働は断じて許されない。