2014年11月24日月曜日

セシウム、森林地表5センチに|大気と放射性物質|ADR申し立てのバス会社倒産

 福島原発事故に伴う放射性セシウムは県内森林の地表から5センチ程度にとどまり、それより深くへのセシウムの移行量は0.2~0.5%程度に限られることが分かりました。チェルノブイリ4~10年後セシウムが根から樹木に吸収された例を踏まえ、今後は樹木に含まれるセシウムの調査を強化する必要性があるということです
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 日本気象学会東北支部によると、福島での放射性セシウムの降下量は原発事故直後に100万倍まで増加したが、現在は1000倍までに低下したということです。
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 福島原発事故の賠償を巡り、原発ADRを担当する「紛争解決センター」が、事故後に減収したバス会社15社の和解協議を打ち切った問題で、このうち1社が倒産に追い込まれていたことが分かりました東電は今年の上半期で経常利益2400億円余りを計上しましたが、その反面でこうした悲劇が起きています。
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セシウム、森林地表5センチに JAEA、協議成果発表
福島民報 2014年11月21日
 日本原子力研究開発機構(JAEA)は20日、福島市で先月開かれたワークショップの成果を発表した。東京電力福島第一原発事故に伴う放射性セシウムは県内森林の地表から5センチ程度にとどまり、土壌浸食によるセシウムの移動は0.2~0.5%程度に限られるとの見解を示した。
 チェルノブイリ原発事故から4~10年後、セシウムが根から樹木に吸収された例を踏まえ、林業再生に向けて樹木に含まれるセシウムの調査を強化する必要性があるとした。
 福島第一原発で増え続けるトリチウムを含む汚染水の処理については、英国などで実施されているトリチウムの海洋放出結果など科学的、技術的な事実を住民や漁業関係者に知らせる努力をすべきと強調した。
 油井三和福島環境安全センター長と宮原要副センター長が県庁で記者会見した。ワークショップは県内の環境回復を目的に国内外の専門家が集い、除染などの課題を協議した。
 今回の成果は経済産業省や市町村などに伝え、活用を求める。
 
 
大気と放射性物質の関係に理解 福島で「気象講演会」
福島民友ニュース 2014年11月23日
 日本気象学会東北支部は23日、福島市で気象講演会を開き、来場者が大気と放射性物質の関係性などに理解を深めた。
  渡辺明福島大特任教授と小畑英樹福島地方気象台観測予報管理官が講演。渡辺教授は放射性セシウムの降下量について、事故直後に100万倍まで増加したが、現在は1000倍までに低下したと解説。チェルノブイリ原発事故や中国の核実験で日本でも降下量が急増した例を挙げ「(福島の原発事故の関係で)健康被害はないと考えられる」と語った。
 
 
原発賠償:受けられず倒産…ADR申し立てのバス会社
毎日新聞 2014年11月23日
 東京電力福島第1原発事故の賠償を巡り、裁判外で紛争を解決する手続き(原発ADR)を担当する「原子力損害賠償紛争解決センター」が、事故後に減収したバス会社15社の和解協議を打ち切った問題で、このうち1社が倒産に追い込まれていたことが分かった。センターに詳細な資料を要求されたが準備できず、賠償を受けられなかった。社長の父は「早く解決してくれれば倒産しなくてすんだ」と批判した。
 
 倒産したのは東京・多摩地区のバス会社。民間の信用調査会社などによると、1974年設立で、当初は冠婚葬祭の送迎や地元住民の旅行など小規模の契約が中心だったが、2007年からは大手旅行会社によるツアーを受注。08〜10年は毎年4億〜5億円の売り上げがあり経営は順調だった。しかし関係者によると、11年3月の原発事故後、旅行会社のツアーや小中学校の遠足、老人会の旅行、ゴルフ大会の送迎など、予約が次々とキャンセルされた。社長の父は「かかってくる電話はキャンセルばかり。電話を取るのが怖かった」と話す。
 11年の売り上げは約2億円と半減。12年春、同社も加盟する「東京バス協会」の呼びかけで、減収分を東電に請求するため、集団で原発ADRを申し立てることになった。同社を含む東京都と神奈川県の16社が参加を決め、12年5月に開かれた弁護士との打ち合わせで社長は「早くやりましょう」と訴えたという。
 
 申し立ては同10月。同12月の進行協議で、和解案を作成するセンターの仲介委員(弁護士)は「キャンセル1件ごとに、原発事故が理由かどうか分かる資料を出してほしい」と求めた。しかし、客からキャンセルの連絡を受けるたびに理由を聞き記録していたのは1社だけで、同社を含む15社は資料を用意できなかった。
 この間、同社の経営は悪化。約10台のバスのリース料が払えなくなり、バスが手元から無くなり、注文が入っても他社に回さざるを得なくなった。関係者は「社長は支払いを督促する電話に『すみません、すみません』と頭を下げていた」と振り返る。13年3月、関東運輸局に事業休止を届け出て、同月、2度目の不渡りを出し事実上倒産した。
 
 センターが結論を出したのは、それから約9カ月後の13年12月。キャンセル理由に関する資料を提出した1社分だけの和解案を示し同社を含む15社の和解協議は打ち切った。
 かつてバスが並んでいた会社の敷地には今、雑草が生え事務所に人影はない。創業者でもある社長の父は「ADRは時間がかかりすぎる」と無念そうに話した。【高島博之、関谷俊介】