放射能の汚染を受けた地域に住んでいる人たちも、決して政府や自治体が言うように「安全だ」とか「気にする必要がない」などとは思っていません。
しかし様々な理由でそこに住むからには、無理にでも自分を納得させる=折り合いをつけるしかないと考えているのです。
ハーバー・ビジネス・オンラインは、たとえ心配であっても慣れ親しんだ地元から離れることはなかなかできない、という現実のなかで苦悩する南相馬の住民を取り上げました。
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「無理にでも放射能と折り合いをつけないと生活できない」
南相馬住民の苦悩
ハーバー・ビジネス・オンライン 2016年3月28日
避難指示区域である南相馬市南部の小高区。市街地は今でもゴーストタウンのようだ
東日本大震災から5年が経過した。最近のテレビ番組では、復興の話題はアリでも放射能の話はナシの雰囲気が強い。センシティブな話題なのでなかなか取り上げづらいのだ。実際に福島第一原発近くに暮らしている人はどう思っているのか。原発からほど近い南相馬市で話を聞いた。
◆政府や市の言う「安全」は素直に信じられない
福島県南相馬市は福島第一原発から10km程度しか離れておらず、市の南側3分の1は避難指示区域に指定され、今でも居住が許されていない。居住区域では現在放射性物質を取り除く除染作業が進んでいるが、若い世代を中心に避難する住民が多い。
避難指示区域である南相馬市小高区で活動中のNPO法人で働くK子さん(56歳)は、娘の結婚式をどこで挙げるかで悩みぬいたと話す。
「娘は南相馬で式をあげたいと話しました。そうすれば娘の若い友人たちもここに来ることになります。もし、よそ様のお子さんが被曝して何かあれば取り返しがつきません。政府も市も『(居住可能区域は)安全だ。放射能はもう気にするな』と言いますが、素直には信じられません。
夫と市内で暮らしていますが、なるべく福島県産の野菜は食べないようにしています。この歳になってなんで……と言われるかもしれませんが、あと何十年かはある人生です。少しでも健康でいて、娘たちに迷惑をかけたくないんです」
◆無理にでも自分を納得させないと、ここで暮らしてはいけない
別の考えを持つ人もいる。市内の仮設住宅で避難者の支援をする地元NPO法人で働くS子さん(55歳)は、原発事故後、飯舘村に避難して、その後、南相馬市の仮設住宅に移った。
「最初は放射能の被害が怖く、家の中にずっと閉じこもっていました。でも、閉じこもっているとだんだん気分もおかしくなってきます。翌年の2月から仮設の住民をケアする仕事を始めたのですが、あるとき『もう放射能のことは気にしない!』と決めました。
安全だと思っていたわけではありません。でも『ここは危ない』『被曝している』と24時間心配しながら生きていくなんて、できるわけがありません。無理にでも自分を納得させないと、ここで暮らしていくことはできないと思います」
◆「放射能のついているモノなんて送らないで」と叱られる
若い世代が市外に避難をしているので、S子さんの住む仮設住宅はお年寄りばかりだ。
「お年寄りの楽しみとして、市外に避難している孫にプレゼントを送る人が多いのですが、娘に『南相馬のものを送ってこないで!』と言われて突き返されることがよくあるようです。『放射能のついているモノなんて送らないで』と叱られるんです。
コンビニでわざわざ市外のものを選んで買って送っているくらいですよ。若い世代とお年寄り世代の放射能に対する考えは大きく違います。私も無理に戻ってきてもらいたいとは思いません」(S子さん)
南相馬で取材を進めると、後者のS子さんと同じ考えを持っている人が多いようだった。都会の住民は「放射能が不安なら、移住すればいいのでは」と言うかもしれない。しかし福島の住民にとって、慣れ親しんだ地元を離れることは、簡単にはできない決断なのだ。
「無理にでも自分を納得させて、放射能と折り合いをつけないと生きていけない」と話すS子さんの心境は複雑な放射能をめぐる状況を語っているように思えた。<取材・文・撮影/白川愚童>