ロイター通信が、半年前に避難地域指定が解除されたものの帰還がほとんど進んでいない双葉郡楢葉町の現状を取り上げて、「消えゆく町」という見出しを掲げました。
事故から4年半が経った昨年9月、国は空間線量20ミリシーベルト以下/年であれば居住できるとして、全町民が避難していた楢葉町の避難指示を解除しました。しかしそれから半年が経過しても、実際に帰宅した住民は町人口のわずか6%に過ぎず、しかもその大半が60歳を超える人たちでした。
帰還した人たちは、仮設住宅暮らしの虚しさに耐えきれなくなったり、被ばくしてから゛がん”を発症するまでは平均20年を要することを見越して、被ばくすることを承知の上で戻った人たちと思われます。
ロイター通信は、帰還者自身が、「町の人口や経済が回復する望みはまずない」、「この地域は結局消滅する」と口にしていると伝えています。この先町が努力してみても事態は変わらないことでしょう。
国は、楢葉町が避難地域の本格復興に向けたモデルケースとなると期待したようですが、それは単なる夢想に過ぎず現実はこのとおりです。
そもそも居住できないところに帰れということに根本的な無理があります。国も自治体も、この現実に立脚して考え方を根本的に改めて再スタートを切るべきです。
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原発事故から5年、帰還住民が直面する「消えゆく町」
ロイター通信(国内版)2016年3月8日
[楢葉町(福島県)8日 ロイター]
2011年3月11日の東日本大震災で東京電力福島第1原子力発電所が見舞われた未曾有の事故。流出する放射能からの長期の避難を余儀なくされた住民たちは、事故から5年経った今、かつて夢見た自宅への帰還を「終わりの始まり」と感じている。
福島第1原発の地元市町村の一つで、放射能禍に直撃された双葉郡楢葉町。原発から半径20キロ圏内の警戒区域の端に位置する同町は、全住民が避難した自治体で初めて避難指示が解除された。政府にとって、同町住民の帰還は各避難地域の本格復興に向けたモデルケースとなるはずだった。
だが、そのシナリオは大きく崩れている。実際に帰宅した住民は町人口の6%、わずか459人。そのうち70%近くが60歳を超える人たちだ。
「この地域は結局、消滅するんだから。間違いない。人間がいないんだから」。避難指示が解除された昨年9月、楢葉町に戻った早川篤雄住職(76)は、ポケットに携えたガイガーカウンターをみながら、こうつぶやいた。
<戻らない若い世代>
原発事故で避難を強いられた周辺地域の住民は16万人以上にのぼる。今も福島県内の仮設住宅で暮らしているのは約10%程度で、多くは故郷以外の土地に定住し、新しい生活を始めている。
楢葉町の帰還者の中に若者はほとんどおらず、町の人口や経済が回復する望みはまずないと、帰還した住民は言う。町で唯一の「商店街」と言えるのは、食堂2軒とスーパー、郵便局の入ったプレハブ小屋がある一区画だけ。その食堂も午後3時には閉まる。
かつて町民のいこいの場所としてにぎわった天神岬スポーツ公園。北太平洋を望む景観は5年前のままだが、園内を走り回っていた子供たちの姿はみられない。公園のデッキから、何百個にも及ぶ放射性廃棄物の黒い袋を見つめる数人の年配者たち。楢葉町は3月11日、津波の犠牲者や避難先で亡くなった人々を悼む献花台をここに設置する。