2016年3月22日火曜日

ぬくもりのない復興住宅

 東京新聞が、復興住宅(復興公営住宅)入居者の状況を報じました。
 やはり家族離散・孤立の影が投影されています。
 
 入居対象は原子力災害により避難指示を受けている人ということで、ここでも自主避難者は除かれています。
 
 福島県のホームページによると全部で4890整備するということで、第4期分は、原発事故時に南相馬市、川俣町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、飯舘村に居住していた人が対象で、706戸の入居者の募集が終ったばかりです。
 引き続き6月以降に第5期募集を行う予定です。
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「ここは監獄と同じ」 ぬくもりない復興住宅
東京新聞 2016年3月21日
 高速道路のインターチェンジに近い、五階建ての復興住宅は、都会のマンションのような、無機質なにおいがした。表札を出している家はわずかだ。
 
 福島県大熊町から会津若松市の仮設住宅に避難していた門馬五子(もんまいつこ)さん(73)は一年ほど前、郡山市内のこの復興住宅に移った。
 長女宅に近く、東京の息子も来やすいだろうと選んだ。四階の3LDKに一人暮らし。年金から月一万円ほどの家賃を払う。百万円近くかけて家具をそろえ、孫が遊びに来た時のために大きなこたつも買った。
 だが、表情は晴れない。今年の正月明け、上の階の住人が亡くなった。救急車が下に来るまで、異変に気付かなかった。「ドアの向こうで誰が、どんな暮らしをしているのか。部屋に入ってしまうと、お互い分からない」と嘆く。安倍晋三首相が視察に来たとき、こう言った。「ここは監獄と同じよ」
 
 顔見知りは民生委員の夫婦だけ。会津の仮設で親しかった人は、いったん同じ復興住宅に入ったが、子と同居すると言って引っ越してしまった
 ペットは禁止で、事故前から一緒に暮らしていた愛猫は長女に預けた。三十分歩いて会いに行くが、「私の顔を忘れてしまった」と寂しそうに笑う。
 
 仮設での暮らしは、つらかった。薄い畳が体を冷やした。壁は石こうボード一枚で、隣の音が筒抜け。窓の結露にも悩まされた。台所は狭く、まな板を置く場所もなかった。
 大熊町にある築百年の自宅は、避難中に動物に荒らされている。「直すには一千万円じゃきかない。もう住めない」。月十万円の慰謝料は早晩打ち切られ、年金だけが頼りの暮らしになる。家を借りたり買ったりできる余裕はない。復興住宅に入るしかなかった。
 
 終(つい)の棲家(すみか)と思い、「私はここで死ぬんだ」と繰り返す。でも、知り合いが多く、濃い近所付き合いがあった大熊町での暮らしは、取り戻せない。避難生活は幕を閉じていない。 (大野孝志)