京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)に研究者として勤めながら原発の危険性を訴えてきた研究者集団の6人は「熊取6人組(または 熊取6人衆)」と呼ばれています。
メンバーは年齢順に、海老澤徹、小林圭二、瀬尾健、川野眞治、小出裕章、今中哲二の各氏です。
昨年3月には小出裕章氏が退職し、最後の一人となった今中哲二氏がこの3月末に退職します。彼はチェルノブイリ原発事故の災害研究の第一人者で、その報文はインターネットでも読むことができます。
かつては大学にはある程度のおおらかさが残っていて、差別は勿論あったものの川野眞治氏(1942年生まれ)までは助教授にまでは進むことができました。しかし小出裕章氏(1949年生まれ)以降は徹底的に差別や嫌がらせを受けて、生涯 助教(以前の助手に当たる)に留め置かれました。言うまでもないことですが助教の給与は低レベルです。
今中さん 本当にお疲れさまでした。
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熊取の6人組 唯一の現職、今中さんが退職へ
毎日新聞 2016年1月27日
京都大原子炉実験所から原発の危険性を指摘
京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)から原発の危険性を指摘してきた研究者集団「熊取の6人組」で唯一の現職、今中哲二助教(65)が3月末で定年退職する。旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の災害研究の第一人者として事実上の退職講演がある。来月10日には6人組が創設した自主講座「原子力安全問題ゼミ」で講演。今後も福島第1原発事故の放射能汚染の実態などの研究を続ける。
同実験所には、今中さんをはじめ、小出裕章さんや小林圭二さんら原発に批判的な研究者6人が研究グループを作り、市民参加が可能な「安全問題ゼミ」を開くなどしてきた。昨年3月に小出さんが助教で定年退職し、今中さんが「6人組のしんがり」になっていた。
今中さんは広島市出身。祖母を原爆で亡くし、母親も被爆した被爆2世だが、「それとは関係なく、当時は最先端技術とされ面白そうだったから」と大阪大の原子力工学科に進学。東京工業大大学院を経て1976年に京大原子炉実験所の助手(現助教)になった。原子力開発のありように疑問を抱き、「原発をやめるのに役立つような研究」をするようになった。
86年のチェルノブイリ事故では90年から6人組の故瀬尾健助手と現地入りした。以降、20回以上訪れ調査。2011年3月11日に福島事故が起こると、同月内に、後に計画的避難区域となる福島県飯舘村で放射性物質の測定などをして、住民らへ判断材料を提供してきた。
学術講演会の問い合わせは同実験所(072・451・2300)。来月の自主講座は希望者が140人を超え、申し込みを締め切った。【大島秀利】