進む風化、乱れるマナー 東日本大震災 伝承施設の入場激減
東京新聞 2018年3月17日
東日本大震災の記憶や教訓を伝える施設が、来場者数の減少で苦境に立たされている。震災直後に比べて半減したところもあり、語り部活動も先細りが懸念される。スタッフらは「このままでは東北の犠牲が無駄になる」と危機感を募らせる。 (岩田忠士)
「海は突然、牙をむきます」。ナレーションに続いて、座席下の床が激しく揺れ始めた。前方のスクリーンには、迫り来る真っ黒な津波。「ゴゴゴ」と不気味な音が館内に響き、顔に風が吹き付ける。
宮城県気仙沼市にある日本初の「津波体験館」。三陸海岸での度重なる津波被害を伝えようと、住民の要望で一九八四年に開館した。二〇一三年には東日本大震災の津波映像や生存者の証言を盛り込んでリニューアルし、年間一万二千人が訪れたが、一六年度は六千人に半減した。「わずか七年で風化してしまう現実がある」。運営する唐桑(からくわ)町観光協会事務局長の千葉光広さん(62)は話す。関東を中心に行政や企業などの団体客が大幅に減った。
気仙沼市のリアス・アーク美術館でも、被災現場で収集した日用品などを展示する資料展の入場者が、一四年度の一万六千人から一六年度は一万人に減った。
岩手、宮城、福島県の観光統計によると、三県とも観光客数は震災前の九割から同水準まで回復したが、沿岸部では今も七割以下。復興ボランティアや防災視察で訪れる人も減った。
岩手県大船渡市の「大船渡津波伝承館」も、一三年の開館時に六千人だった来館者が、近年は三千人ほど。自ら撮影した映像で津波の記憶を伝える斉藤賢治館長(70)は「運営を考えると、安定した人数がほしい」と話す。観光ツアーの団体客には、酒を飲んで到着するなり眠ったり、流される建物を見て手をたたいたりするなど、マナーの悪さが目立つ例も。斉藤館長は「風化はこれほどまで進んだのか」と危機感を抱く。
同市の「椿(つばき)の里 大船渡ガイドの会」による語り部活動も、一三年の三百四十三件をピークに、一七年は五十六件にまで減った。小川広文会長(63)は「こちらが語りたくても聞く相手がいない」と嘆く。
今後、拡大が期待されるのが、修学旅行などで東北を訪れる「教育旅行」だ。宮城県では震災後に「みやぎ教育旅行等コーディネート支援センター」を設置。被災地での学習や体験プログラムなどの発信に力を入れる。気仙沼市では「震災遺構」として旧気仙沼向洋高校が来春に公開予定で、学習拠点になる見込みという。