2018年3月25日日曜日

8年目 被災地の思いは

 毎日新聞が、東日本大震災から8年目に入った被災地の現状と住民の思いについて、岩手、宮城、福島3県の地元紙の記事から紹介しました。
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8年目 被災地の思いは 地元紙が報じた今
毎日新聞 2018年3月22日
 東日本大震災から8年目に入った。1万2000人以上が仮住まいを続け、避難生活者が約7万3000人に上る現状を反映して、被災地の岩手、宮城、福島3県の新聞は11日を中心に、復興や自立に向けて取り組む人々の姿などを記事にした。東京電力福島第1原発事故の地元・福島県では二つの地方紙が深刻な実情を伝えている。【川名壮志】

 東日本大震災から8年目に入る11日、福島民報(福島市)は1面の論説記事で、福島第1原発について「完全な廃炉を展望できなければ住む人の不安は決して消えない」「県民にとって計り知れない災禍をもたらした原発が、本県で再び稼働することは考えられない。第2原発の廃炉を強く訴えていかなければならない」とした。記事のクレジットは「福島民報社」とした。芳見弘一・編集主幹は「7年たっても廃炉の道筋が見えない。福島の地元紙である私たちの立ち位置を明確に示すとともに、原発事故で傷ついた県民の声を広く知ってもらいたいと社を挙げて発信した」と話した。

 福島民友(福島市)は、社説で帰還困難区域の住民の意向調査について触れ「帰還するかしないか決めかねている姿が浮き彫りになった。国は住民に判断材料を示すとともに、整備を着実に進めることが重要だ」と主張。特集面では、避難指示が解除された地域について、65歳以上の高齢者が4割以上で、人口減少の中で介護サービスが追いつかない窮状を伝えた。

 東北各地で発行している河北新報(仙台市)は、リサーチ会社と連携した東北6県と首都圏でのネットアンケートを特集。復興事業として、震災による風評被害対策などが「不足している」と回答した人が54・6%に上ったことや、生活支援対策が「不足している」と答えた人が37・8%だったとした。「復興五輪」と銘打たれた2020年の東京五輪について「五輪で得た利益を復興支援に回す仕組みを」(宮城県・20代女性)、「恩着せがましく名前をつけられただけ」(福島県・40代女性)などの声を伝えた。

 ウェブ版では11年の発生から翌12年まで被災地で暮らす市民の課題を取り上げた連載「焦点」の主な記事を、発生7年を機に再掲載した。12年2月に掲載した「薬の備蓄ミスマッチ 災害時は外傷を想定するが、実際は高血圧など慢性疾患用が不足」という記事など、将来の教訓を並べた。

 岩手日報(盛岡市)は1面に「震災7年 決断の時」の見出しを掲げた論説記事を掲載し、16年度から5年間の国の復興・創生期間が間もなく半分を迎えることを挙げ「外部から支援の手が差し伸べられる時間は少ない。まちが負った傷も深く、産業や医療、衣食住の環境は完全には戻らない。結果として『人とにぎわいを取り戻す』という復興の青写真と、現実の乖離(かいり)も広がり始めている」と現状に懸念を示した。8年目を「支援型から自立型の復興に移行し、被災者一人一人の復興を目指す長く地道な取り組みの実質的な元年となる」と位置づけた。

■わがこととして
 04年、07年に大型地震を経験し、県内に原発がある新潟県の新潟日報(新潟市)は11日の社説で「原発事故わがこととして」と題して「生活や地域を守るために、原発が立地する地元や住民が主体的に判断できるかどうかを問うている」として、原発についての判断を国や電力会社任せにしないことを呼び掛けた。

 1995年の阪神大震災の地元・兵庫県の神戸新聞(神戸市)は、河北新報が東日本大震災発生3年目の社説で「哀悼と共感の心を届け続けることが被災地を励まし、被災者に前を向く勇気を与えてくれる」と書いたことを11日の社説で取り上げ「23年前に直下型地震の被害を受けた私たちも同じだった。全国から届いた励ましや支援がありがたく、身にしみた」と呼応。「私たちの思いとともに、鎮魂の火をともしていきたい」と結んだ。

当たり前じゃない「明日」 岩手日報が企画広告
 <もしもし? おかあさん? しばらく あれから7年経(た)つね 何やってる? こっちはまだ、仮設にいるじゃ>

 死者・行方不明者1234人を出した岩手県大槌(おおつち)町に回線の接続されていない通称「風の電話」がある。岩手日報は11日紙面に、この電話を使って津波に流された妻に語りかける男性の写真を企画広告として2ページ見開きで掲載した。

 風の電話は「突然会えなくなった人と、最後に一言を交わしたい人がいるのではないか」との趣旨で、町の人が震災直後に自宅の庭に設置した、電話ボックスの中にあるダイヤル式の黒電話だ。誰でも使えるように開放している。死者・行方不明者1760人を出した陸前高田市に住む佐々木一義さん(64)は妻美和子さんと話した。

 <2年前の2月14日、あんた帰って来たもんなあ ほんとに、 めんこい顔だった めんこくて、めんこくてなあ ほんとは 死んでないんじゃないかって ほっぺさキスしたよな あん時は 生きてたと思ったのになあ あの感覚 死んだのは嘘(うそ)だー 生きてた、 って思ったのになあ でも、朝、 目が覚めた 全部 夢だった… あんたがいないの、やっぱり現実だったんだよな ->

 「夢でしか、会えない妻へ。」を企画した同社広告事業局の柏山弦企画推進部長は「当たり前の明日が来るのは当たり前ではないことを、多くの人に思い出してほしい。『3・11』は被災者だけではなく、全ての人が痛みを共有する日とし、悲しみと教訓を語り継ぎたい」と話す。

 ホームページにも掲載している。同社は3月11日を「大切な人を想(おも)う日」とするキャンペーンをしており、賛同者の署名を集めている。ホームぺージでも参加可能で、4000人を超えている。