2015年3月7日土曜日

原発事故後のフクシマは・・中筋さんの写真展

 雑草の海と化した校庭、つる草に覆われた駅、人の姿がない商店街、それが原発近傍のフクシマの現況です。
 
 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の現地でも廃虚の街を撮影した写真家 中筋さんが地元の八王子市写真展を開いています
 静寂の世界」であることは同じものの、事故から約30年のチェルノブイリと違い、福島まだ生々しい生活の気配が残っていますが、それが徐々に自然に包まれていく・・・と中筋さんは語ります。
 
 チェルノブイリのように廃虚となる以外の道はフクシマにもありません。
 100年が経過してやっと放射線レベルは10分の1に減じ、200年が経過してやっと100分の1に減じます。
 雨に流された土がたまる場所の260マイクロシーベルトが200年経ってやっと2~3マイクロシーベルトまで下がったとしても、まだ原状の放射線強度の40~60倍のレベルです。
 
 八王子写真展は20日まで開かれます
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沈黙のフクシマ撮る 原発事故後潜む恐怖…写真展
東京新聞 2015年3月6日 
 雑草の海と化した校庭、つる草に覆われた駅、人の姿がない商店街-東京電力福島第一原発事故で、住民が避難した街を撮影している東京都八王子市の写真家中筋純さん(48)が、市内で写真展を開いている。旧ソ連(ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故の現地でも廃虚の街を撮影した中筋さん。一連の写真は静寂の世界をもたらした原発の恐ろしさを物語る。写真展は「福島の現状を海外に知らせたい」とパリなどでも開かれる。 (村松権主麿)
 
 「人がいないサイレントな空間は同じだけど、事故から約三十年のチェルノブイリと違い、福島は生々しい生活の気配が残っている。それが徐々に自然に包まれていく」
 中筋さんは二〇一二年五月から、自治体の許可を受けて大熊町や双葉町、南相馬市などに入り、一~二カ月ごとに撮影している。撮影場所には商店や自動販売機がないため、一日分の食料と水を携えて行く。
 
 初めてとなる福島の写真展は、三十三点を選んだ。「夏はつる科の植物、秋はセイタカアワダチソウがばっこしている」。つる草に覆われた寺院(富岡町)や駅(南相馬市)、アワダチソウが黄色い花を咲かせる校庭(双葉町)の写真が、目に飛び込んでくる。
 食料品店の棚で干からびた大根(浪江町)。机に、かばんと水筒が置かれたままの教室(富岡町)。「原発被災地では『時間が止まっている』という言葉がよく使われるが、自然や空気は脈々と動き、着実に時間は刻まれている。取り残されたのは人間だ」
 長さ四・六メートルの大きなパノラマ写真は浪江町の商店街。どの店もシャッターが下り、建物が並ぶだけ。
 「住み慣れた街やにぎやかな場所が、原発事故でどうなるか、自分自身に置き換えて考えてほしい」と中筋さん。「つまり『原発はいらない』ということだ。原発に反対でも賛成でもない人に見てほしい」
 
 雨に流された土がたまる場所で二六二・八マイクロシーベルトを示す線量計や、夕闇にそびえる原発の写真には「すべてここから始まっているんだ」というメッセージを込めた。十カ所ほどで定点観測もしており、今後も時間の経過による変化を撮り続ける考え。「チェルノブイリのように廃虚となるのか、違う未来があるのか、この目で見たい」と語る。
 フランスで福島の子どもたちの支援活動をしているNPO法人の会長で、中筋さんと交流のある日本人男性から「福島の現状を知らせたい」と呼び掛けがあり、写真展はパリやポルトガル・リスボンなどでも今月半ば以降に開かれる。
 
 八王子の会場は二十日まで。日、月曜休み。問い合わせは、同市南新町のカフェ「ゆいまーる生活館」=電042(626)2296=へ。
 
<なかすじ・じゅん> 和歌山県出身。東京外語大卒業後、出版社勤務を経て1996年、写真事務所設立。雑誌や広告の写真を撮る傍ら、長崎県の「軍艦島」など産業遺構を撮影。2007年からはチェルノブイリ原発周辺の街などを取材。著書に「流転チェルノブイリ 2007~2014」(二見書房)など。