規制委の島崎邦彦氏(地震学)と大島賢三氏(元外交官)が2年の任期を終えて18日、退任しました。
島崎氏は地震予知連会長在任中に東日本大震災を迎えました。福島沖の大地震・大津波を全く予知できなかったことに、きっと忸怩たる思いがあったものと思われます。それで活断層の有無についてはかなり厳しい態度で臨んだため、電力会社からは非常に嫌われましたが、それは取りも直さず良心派のあかしでした。「島崎委員発言要旨」からその辺の思いを窺うことができます。
二人の後任には、田中知氏(原子力工学)と石渡明氏(地質学)が就任します。田中知氏は原子力学会会長を務めるなど原子力村の中枢にいた人なので、規制委は一層電力会社寄りになるのではないかと思われます。
残りのメンバーのうち更田豊志氏(原子炉安全工学)と中村佳代子氏(放射線医学)はもう1年、委員長の田中俊一氏(原子力工学)はあと3年つとめます。
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規制委・島崎氏が退任 「自然の声聞いた」「審査、厳し過ぎではない」
東京新聞 2014年9月19日
原子力規制委員会の島崎邦彦委員長代理が十八日、二年間の任期を終え、記者会見した。原発の活断層を調べたほか、地震・津波対策の新しい規制基準をつくり、原発が基準に適合しているかどうかの審査を担当。任期を振り返り、「どんな精密な理論を作ろうと、自然がそうではないという事実を示せば、それに従わなければならない」と語り、これまで強調してきた「自然に耳を傾ける」大切さをあらためて強調した。
規制委が日本原子力発電敦賀原発(福井県)の直下に活断層があると判断した後、島崎氏は原電から激しい抗議を受けた。「名指しの批判、ありがとうございました」とあいさつ。「かなり重要な決定になったので、社会的理解を得られるよう丁寧に手順を踏まないといけない」と語った。
新基準の審査について、島崎氏が厳し過ぎるとの声に対し「私から見て厳しいところはひとつもない。当たり前のことをしてきただけ。科学には必ず、誰が見ても同じ結論になるところがある」と話した。
一方で、「原発の場合、難しいのは電力会社が調査するところ」と、審査の限界にも言及した。東京電力福島第一原発の事故で失った科学の信頼を取り戻そうとしたが、「残念ながら、まだ道半ば。最初に思ったようには物事が進まなかった」と振り返った。
退任の背景に、原発を推進する立場からの政治的な圧力があったとの指摘に対しては、「政治的な思いがどこかにあるかもしれないが、私とはまるで無関係」と否定した。
同じく十八日で退任する大島賢三委員も会見した。
◆島崎委員発言要旨
【審査の在り方】
東日本大震災で広がった科学や科学者への不信を少しでも取り除きたいと思ってきた。残念ながら道半ばで、その点は力不足だった。(審査が厳しいと批判されるが)私から見て厳しいところは一つもない。当たり前のことをしてきただけ。なぜそう言われるのか分からない。
(後任の)石渡明氏は地質学の専門家で、地震学の私とは違う。私にはできなかったことがスムーズに進んでいくのではないか。
【断層調査】
やり残したことはたくさんある。最初に思ったようにスムーズには進まなかった。楽観的すぎたと思う。
(敷地内断層の活動性を認定した)敦賀原発など、かなり重要な決定になった。社会的な理解を得られるよう丁寧に手順を踏まなければならない。原発敷地内の断層調査も半数に達せず非常に残念だった。
【委員になった理由】
かつては原子力に関心を持たず不勉強だった。どこに原発があるかも知らず「日本海溝沿いに津波地震が起きる」と、地震調査研究推進本部の部会長として長期評価をまとめていた。評価の発表には圧力がかかり(原子力規制に深く関与していた)高名な地震学者二人から批判も受けた。二人と原子力の関係も知らなかった。もう少し社会の仕組みに注意を払っていたら、津波で二万人近い犠牲者を出す前に、声を上げていたに違いないと思う。
(長期評価が反映されなかった)中央防災会議で、席を立ってやめると、声を大にすべき時だったのに、負け犬になってしっぽを巻いてそのまま黙ってしまった。
(震災後、政府から委員就任を打診され)二年やって自分が死んでも後悔しない。やってやろう。これが結論だった。