2018年4月16日月曜日

震災避難者が「貧困」に陥っていく理不尽

 東洋経済の記者が、これまで手抜き除染報道などで新聞協会賞を3回受賞している朝日新聞の青木美希記者にインタビューしました。
 政府が福島の復興を強調し、一部の人たちは復興していると勘違いしている中で、震災避難者が貧困に陥っていく現状が指摘されています。
 インタビューの中で、原子力ムラの重鎮が「帰還政策は国防のため」語ったことや、以前福島原発のがれき撤去の作業中に粉塵が飛んで南相馬市のコメを汚染した疑いについて、原因究明を始めようという矢先の段階で、国が原因不明扱いにしようと会議で決めたことなど、ショッキングな話が出てきます。
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震災避難者が「貧困」に陥っていく理不尽
復興しているという勘違いの恐ろしさ
塚田 紀史 東洋経済オンライン 2018年04月15日
東洋経済 記者               
数字上消えた万人単位の避難者は行き先を失い、全国各地をさまよっている。『地図から消される街』を書いた朝日新聞社社会部記者の青木美希氏に東日本大震災から7年経っても変わらない避難者たちの苦境を聞いた。
 
7年経った今、聞こえてくる避難者たちの苦境
――3.11から丸7年。東日本大震災直後から現場に足を運び、取材を続けているのですね。
デスクから行けと言われた。初めは岩手、それから宮城、福島と、本州を下がっていった感じ。
 その日の食に事欠き、経済的に困る人たちが発生して、新たな貧困層が生まれたことがどんどん見えてくる。自治体などの住宅提供で何とか暮らせたが、その提供が終わりだし、生活苦が同時に進行していく
 一方で、世間の関心が急速に薄れ、その無関心がまた被災者を苦しめる。「まだそんなことを言っているの」「もう復興しているだろう」「もう帰れる、どうして帰らないの」と、暗黙のうちに責め立てる。これが何重もの苦しみになっていった
 
――今も被災地に通って?
困っている人たちの声を私たちがきちんと届けていないから伝わらないのでは、と思って、切迫した現状を伝えることに専心してきた。7年経ち、どうしてこういう形なのか、現在までの時系列と、そして未来においてさらに困るだろう事態までを含めて、包括的にわかってもらおうと考えている。
 たとえば支払う学費がなく大学に行けないのは絵空事でなくて本当のことだ。避難した母親がいちばん頭を悩ますのは大学進学。全入時代で誰もが大学に行く。実例として、避難者で当初、学費の給付を受けていた学生が、制度がなくなり中退せざるをえなかったケースを記述した。彼は学校の先生になりたかった。だが大学中退になり、その夢をあきらめて、この4月から社会人になった。学ぶ意欲のある人がその力を十分に発揮できないことにつながり、希望する未来を奪ってしまっている。
 
――賠償金の期限も来ました。
もともと避難で働く場所を替えなければいけなくなった。正規の職業にありつけず、正社員からパートになった人の話はざらに聞かされた。それだけ世帯収入はどうしても下がってくる。
 昨年3月の住宅提供打ち切り後に東京に残った人が7割近くいる。東京都のアンケートで170世帯が世帯収入の質問に答えている。結果はほぼ6割が世帯月収20万円以下。しかもその半分が10万円以下だ。つまり全体の3割近くが10万円以下なのだ。それで生活せよというのは酷ではないか。
 
放射能との闘いをまだ続けなければならない
――居住費は。
民間の賃貸住宅にはとても住めないから、都営住宅の枠で入っている世帯が多い。住宅提供が打ち切りになったときに、経済的には無理だから出身地に帰らざるをえないと帰った人もいる。ただ、放射能汚染が心配で、福島県内の保育園では外遊びさせず、子どもの活動は県外でさせている母親もいる。
 影響がよくわからない放射能との闘いをまだ続けなければならない。専門家でも「影響がある」「影響がない」、あるいは「気にしないでいい」「気にしたほうがいい」など、いろいろな見方がある。母親としてどの意見を取るか、自分自身でどう判断するか、悩んでもいる。
 
――でも何とか生活している?
精神的に参っている人もたくさんいるようだ。福島県の調査では県外避難者に占めるうつや不安障害の比率は9.7%に達する。全国平均は3.0%だから、3倍以上発生している。
 
――手抜き除染の報道がありました。
手抜き除染自体がどうして起こったのか、どうすれば防げたかについては、新聞では紙面に限りがあるので書き切れない部分が多くある。「これでは“移染”だ」と言う作業員もいた。やっている本人たちが良心の呵責に苦しむような作業を、なぜ被曝リスクを冒しながら、そしてその被曝の除染手当を搾取されながら続けなければならなかったのか。
 
――除染はまだ終わってもいないとも。
終わったことになっている地域がほとんどだ。そもそも長期目標とはどの程度の期間を想定してかわからないが、除染の長期目標は年1ミリシーベルト以下。全面的に1ミリシーベルト以下にはしないと政府はしており、場所によって1ミリシーベルト以下にならないままのこともありうる。
 福島第一原子力発電所の北西部に位置する浪江町では実測の中央値からして年間1.54ミリシーベルトになるという計算を説明会で表に出したうえで、避難指示を解除すると説明している。政府としては年1ミリシーベルト浴びてもいい、年間の被曝量が20ミリシーベルト以下ならば帰れるという立場なのだが、一方で(二次)被曝に関して大丈夫とは言わない。
 
浪江町は「もう復興している」のか?
――タイトル「地図から消される街」の由来は。
浪江町から避難している人が、「このままでは浪江がなくなってしまう」と語ったことだ。地元がこのままでは消えてしまうと思っている人の姿と、その一方でもう復興していると政府が言っている姿との乖離を、浮き彫りにするために表現した。
 
――「帰還政策は国防のため」と原子力村の重鎮が語っている?
どうして日本は脱原発できないのか、政治家を含め多方面の人に話を聞いたが、答えは「国防のため」に行き着く。いちばん説得力があったので、原子力村の重鎮の言葉として記録した。
 
――避難者には「捨てられた感」が強いですね。
私たちも明日、ぱっと切り捨てられ、同じ目に遭うかもしれない。自己防衛のためにどうしたらいいのか。避難者は懸命に自分で考えて職に就き、生きている。その姿に学ぶことはとても大事だ。
 
――「秘密会議」の話はショッキングです。
がれき撤去の作業中に粉塵が飛んで南相馬市のコメを汚染したのではないかという「事案」について、原因究明を始めようという矢先の段階で、原因不明扱いにしようと政府の会議で決めた事実がある。シナリオが先に動く。表に見えていることがいかに取り繕われているのか。国民の一人として大いに心配だ。
 
――とにかく無関心はいけない。
避難者も二極化しているようだ。立ち直れない人はますます深みにはまっていく。支援もなくなり、世間が関心を持たないことでまた苦しむ。まず苦しんでいる人たちがいるのを可視化していくことが大事だと思う。
 
 青木美希(あおき みき)/1997年北海タイムス社入社。休刊で1998年北海道新聞社に移り、警察担当時に道警裏金問題(2003年11月から約1年報道)を手掛ける。2010年朝日新聞社入社。社会部に所属し震災を取材。2011年特別報道部。手抜き除染報道などで新聞協会賞を3回受賞(撮影:尾形文繁)
 
『地図から消される街 3.11後の「言ってはいけない真実」』(青木美希 著/講談社新書/920円+税/284ページ)