加圧水型の原子炉で二次系のラインには放射能は含まれていないので、高熱水・高熱蒸気による火傷が死因でした。
関電では1983年ごろから各原発で二次系配管の肉厚が薄くなる現象が多発し、1986年には米国サリー原発で配管破損で死傷者が出たことから、1990年に二次系配管の管理指針を策定しました。
それによると事故を起した破損個所は本来検査対象になるはずでしたが、放置されたままになっていてこの死傷事故を引き起しました。
第85回小出裕章ジャーナルは、この日本初の原発死亡事故を取り上げました。
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日本初の原発死亡事故(美浜原発事故)の真実
第85回小出裕章ジャーナル 2014年08月23日
事故から10年。「壊れた時には、配管が腐食と摩耗で、
わずか0.4ミリしかなかった、そういう状態だったのです」
石丸次郎:今からちょうど10年前に起こった重大事故について振り返ります。2004年の8月に福井県にある関西電力美浜原子力発電所で、5人の作業員が死亡するという重大事故があったことを覚えてらっしゃいますでしょうか?
事故からちょうど10年を迎えました。今日は、この日本の原発の事故で初めて死者が出た関西電力美浜原発事故を振り返り、改めて事故の教訓について考えたいと思います。
10年前に、この美浜原発で起こった事故というのは、私の解釈で言えば、簡単に言えば、核エネルギーの熱で沸かした熱湯が通る配管が破裂して、水蒸気と熱水を浴びた作業員が亡くなったという、そういう事故。こういう理解をしてるんですけど、これでよろしいでしょうか?
小出さん:はい。基本的にはその通りですけれども、ウランが核分裂して、まず水を温めるのですが、この事故が起きた水は、実はその水自身ではなくてですね、2次系と言われているタービンを回した蒸気がまた水に戻って、それが蒸気発生機に送られるという、途中の配管が破れました。
石丸:当時、小出さんは、この事故を受けてリポートのような物を作っておられるんですけれども、初めての原発における稼働中の死亡事故の報を聞かれた時、そして原因について、だんだん状況が明らかになった時は、どういうふうに感じられましたでしょうか?
小出さん:まずは、5人の方々が亡くなったのですが、いわゆる関西電力の社員ではなくて、そのひ孫請けという所の方々が犠牲になりました。140度という高温の水が10気圧という圧力がかかった状態で配管の中にあったのですが、その配管が一気に大きく穴が空きまして、大量の高温の水と蒸気が、音速に近いような形で吹き出してきたのです。
それを浴びて、あるいは吸い込んでという事で、ほとんど、たぶん4人の方は一瞬のうちに絶命したと私は思います。残りの1人の方は、全身の9割に火傷を負って重体になっていたのですが、やはり、その後、半月ほど苦しい戦いをした後で、お亡くなりになってしまったという事になりました。まことに苦しい形で命を奪われたんだろうなと、まずは感じました。
そして、その原因が一体何なのかという事をまずは知らなければいけないと思って、私自身も調査を始めたのですが、あまりにも馬鹿げたというかですね。もともとは、1センチもあるような分厚い配管だったわけですけれども、
壊れた時には、もうその配管が腐食と水による機械的な摩耗ということで、わずか0.4ミリというような厚さしかなかった。 それに、全く気が付かない、検査もしないまま、何10年も来ていたという、そういう状態だったのです。
石丸:やっぱり、これは怠慢、杜撰(ずさん)のために起きた人為事故という他ないですね。
小出さん:まさに、そうですね。ほんとであれば、キチッとした検査体制を作ってやるべきなのですけれども、検査にお金がかかるという事で、関西電力も検査の費用を次々と削減してきてしまっていました。そのために、キチッとした検査も行わないまま事故に突入してしまったのです。
石丸:この美浜の事故の教訓というのは、2011年の福島の事故まで活かされていたとお考えですか?
小出さん: 残念ながら活かされていなかったわけですね。検査ということも、どんどんどんどん手を抜く方向に来たわけですし、福島の場合にも、本当だったら事故の時には使わなければいけないようないわゆる、事故時の装置があるのですけれども、そういう装置の点検もしなければ、運転の訓練もしていなかったという事が福島の事故でも起きました。
ですから、今、石丸さんが聞いて頂いたように、「経験が活かされたか?」という問いであれば、「残念ながら活かされなかった」という事になると思います。
石丸:なるほど。この10年前の事故、2011年の福島の事故があまりにもですね甚大すぎて忘れがちになられかねないんですけれども、考えてみると、10年前すでに関西電力の美浜原発事故で我々が考えなきゃいけない大きな、やっぱり杜撰な管理体制があったっていうこと。これは、忘れてはならないというふうに思います。小出さん、今日はどうもありがとうございました。
小出さん:ありがとうございました。