福島原発の廃炉作業を監視する福島県県民会議が4日開かれ、3号機のがれき撤去で飛散した放射性セシウムが昨年8月、数十キロ離れた南相馬市のコメなどを汚染した可能性が出ていることに対し、批判が相次ぎました。
しかし東京電力の担当者は、「粉じんが飛散したのは事実だが、コメの汚染との因果関係は分からない」と述べたということです。
実際東電はこれまであらゆる不具合の理由を「分からない」で通し、これまでも放射能汚染水の海洋流出を何一つ解決しないままで来ました。
敷地の岸壁沿いに鋼管杭を密に打って、その間隙を水ガラス状のもので固める止水壁も完成させていますが、地下水は単にその壁を迂回して流れるだけでした。そんな工事をした理由こそ「分からない」ことです。
また地下水問題の決め手といわれる凍土壁も、その手始めとして行ったトレンチ部分がいつまでたっても凍結しません。その理由もいまだに「分からない」らしく、連日氷を15トンも投入しています。
しかし、「コメの汚染との因果関係は分からない」というのは、それらとはまた異なるもので、要するに「誰かそれを証明できるのか」という開き直りです。
これはたとえ限りなくクロに近かろうとも、決定的な証拠さえなければシロと言い逃れることができるという東電の文化なのでしょうか。
放射能で汚染された結果営業が出来なくなったゴルフ場が、東電に賠償を請求したのに応じないため、放射能を除去して欲しいと要求すると、一旦宙を舞って着地した放射性物質はもはや東電の所有物ではない(いわゆる無主物)と平然と断るという文化に通じるものです。
「分からない」で思い出されるのは、学校でいじめによる自殺が起きると、教育委員会などが必ず「いじめは確かにあった。しかしそれが自殺の原因であるかどうかは『分からない』」と述べることです。
これも責任論に係わることになると直ちに懐疑論(=不可知論)に転じることで、文科省をはじめ各段階の教育委員会や当該の学校の関係者が傷つくことを防ぐ、常套手段です。
あるいは近年まで国策企業を守るために、公害の原因の立証責任は住民側にあるとされてきたことで、国策企業内に培養されてきたDNAの発現なのかも知れません。
いずれにしてもあきれ返る話です。
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原発がれき撤去で粉じん コメ汚染批判相次ぐ
河北新報 2014年08月05日
福島第1原発の廃炉作業を監視する福島県県民会議が4日、福島市内で開かれた。3号機のがれき撤去で飛散した放射性セシウムが昨年8月、数十キロ離れた南相馬市のコメなどを汚染した可能性が出ていることに対し、批判が相次いだ。
相馬市や双葉町など13市町村の住民代表と、商工会や農協など各種団体の代表ら約30人が出席。東京電力の担当者は3号機のがれき撤去に関し「粉じんが飛散したのは事実だが、コメの汚染との因果関係は分からない」と述べた。
これに対し、委員から「因果関係が不明という説明では納得できない」「コメへの汚染を認めるべきだ」などと反発する声が上がった。
東電は近く第1原発1号機のがれき撤去に向け、原子炉建屋を覆うカバーの解体に着手する。
会議では、東電は作業時の粉じん対策などを説明。東電の福島第1廃炉推進カンパニーの増田尚宏最高責任者は「今後、放射性物質をまき散らさないようしっかり作業したい」と理解を求めた。