2018年5月1日火曜日

福島・大熊町 準備宿泊開始の住民 先行きに不安

 福島原発事故で全町避難する福島県大熊町の一部地区で24日、帰還に向けて長期滞在できる「準備宿泊」が始まりましたが、登録した人はまだわずかです。
 登録した人たちもまだ先行きには不安を抱いています。
 河北新報が初日の様子を報じました。
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 <福島・大熊>
準備宿泊開始、防犯強化へ拠点開設
河北新報 2018年4月25日
 東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県大熊町の一部地区で24日、帰還に向けて長期滞在できる「準備宿泊」が始まった。町が来春を目指す対象地区の避難指示解除への第一歩で、第1原発が立地する大熊、双葉両町では初めて。
 対象は居住制限区域の大川原、避難指示解除準備区域の中屋敷の両地区。町によると2地区の計139世帯379人のうち、計8世帯14人(24日現在)が準備宿泊に登録した。避難指示解除まで続け、町は帰還への課題の確認と改善につなげる。
 初日は、登録者が町大川原連絡事務所で手続きを済ませた後、それぞれ自宅へ向かい古里での生活を事実上再開させた。
 
 大川原地区の井戸川清一さん(64)は昨年、自宅を建て替えた。避難先の南相馬市から片道1時間かけて通い、庭の手入れなどをしてきた。父を昨年4月に亡くし、愛犬と暮らす。
 井戸川さんは「誰にも気兼ねせずに泊まれる。ここが一番落ち着く」と話す。隣接する富岡町に23日、2次救急を担う県立病院がオープンし「不安はない」と言うが、大川原の登録者は6世帯11人。「避難先から戻ってくるのは年寄りぐらいかな」と寂しさを覚悟する。
 町は24日、町安心安全ステーションを大川原連絡事務所隣に開所した。警察官や民間パトロール隊が立ち寄り、防犯を強化する。トイレもあり、自宅に一時的に戻る住民も利用できる。
 
 2地区の住民登録者は町全体の3.5%。町は大川原地区を復興拠点と位置付け、来春の業務開始を目指し町役場新庁舎を建設。災害公営住宅や商業施設も整備する。約700人入居の東電の社員寮もある。
 大半の町民の住宅がある帰還困難区域では、国が除染とインフラ整備を進める「特定復興再生拠点区域」の事業が始まっている。
 
 
 <全町避難> 
福島・大熊の帰還に過疎化が影 準備宿泊開始の住民、先行きに不安
  河北新報 2018年4月25日
 東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県大熊町で24日、準備宿泊が始まり、避難指示解除へ一歩前進した。ただ登録者は少なく、特に中屋敷地区は事故前から過疎が進み、すぐに宿泊できる住宅はごく限られる。住民は「ここが一番落ち着く」と再起を思い描くものの、先行きの不安を拭えずにいる。
 
 準備宿泊の対象となった2地区のうち中屋敷地区は、同県の田村市、川内村などと接する大熊町西部の山間地にある。一時帰宅が可能な避難指示解除準備区域。国道288号から地区に入る道は狭く、行き交う車はほとんどない。
 農業三津間義一さん(64)は初日から準備宿泊した。綿羊を3頭飼育し、避難先のいわき市から2、3日おきに通った。「少し楽になる。街より静かな所が好きだ」と喜ぶ。
 2009年度の綿羊共進会で最高賞を獲得した。事故後は1歳未満の子羊の出荷規制が今も続く。「規制がいつ解除になるのか」。10年は待つ覚悟だ。
 中屋敷地区は戦後の入植者や国有林の管理に従事する人々が暮らしてきた。戦後間もなくは60軒ほどと小学校の分校があった。原発事故直前は13軒20人に減少。避難で生じた空き家は朽ち、動物に荒らされるなどして多くが解体された。残るのは三津間さん宅を含め3軒程度という。
 
「車を運転できるうちに帰って来たい」。設備会社に勤めていた鈴木雅雄さん(66)は、山あいの田に水を張った池でドジョウの養殖に挑む。退職後、本格的に取り組もうと思った直後、原発事故が起きた。
 自宅は解体し、平屋の建物に「研究所」の看板を掲げ、避難先の会津若松市から通う。ただ1人では踏み切れず、「一緒にやる人がいれば」と願う。「住める環境にない」と、まだ準備宿泊の登録はしていない
 希望世帯には飲用に井戸が掘られ、地域の課題だった携帯電話の不通解消に電波塔も建った。
 会津若松市に避難する中屋敷区長の佐藤順さん(69)は「古里は落ち着く。生活環境は良くなっているが、7年以上の時間は長すぎた」と漏らす。自宅を修繕中で、準備宿泊に登録しておらず、戻るかどうかも思案中という。