2016年5月6日金曜日

06- 震災と憲法 4~5 (河北新報)

 河北新報の <震災と憲法> シリーズのうち、今回は 
 シリーズ() 幸福追求権 と シリーズ() 緊急事態条項 を紹介します。
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<震災と憲法>原発事故が奪った日常
 河北新報 2016年5月4日 
◎被災地から考える(4)13条 幸福追求権
 
<「桃源郷」が一変>
 除染を終えた伊達市霊山(りょうぜん)地区の畑に2015年12月、子どもたちの歓声が響いた。福島県北地方の伝統野菜、信夫(しのぶ)冬菜の収穫だ。
 企画した福島市のNPO法人「ふくしまGreen space」は東京電力福島第1原発事故後、子どもが安心して屋外で活動できる環境を取り戻そうと、緑地や野菜作り、除染に取り組む。
 「子どもたちにとって身近な自然と触れ合う時間はかけがえのないもの」。代表の杉浦美穂さん(39)=伊達市=は力を込める。
 杉浦さんは10年ほど前、夫の転勤で福島に移った。「花と果樹にあふれる桃源郷」で娘2人を育てる生活は、原発事故で一変。外で葉や枝を拾ってくる娘に、「捨てなさい」と言わなければならなくなった。
 福島にとどまる人は目に見えない不安を背負う。「福島に生まれただけで、当たり前だった幸せな生活が奪われるのはおかしいし、悔しい」
 幸い、夫が研究者で放射線の知識があった。除染すれば被ばくのリスクは減らせる。自然界の全てが危ないわけではない。
 「漠然とした不安で福島を離れた親も、全く気にしていない親も、放射線について知る機会が無いまま置き去りにされている」。杉浦さんは正確な情報の重要性を感じた。
 夫と協力して緑地の放射線量を測定し、NPOのホームページに公開。樹皮が剥がれにくい桜の木などには触れないよう注意を促し、毎年入れ替わる木の実や葉は触っても大丈夫だと説いた。
 
<経済的負担重く>
 科学的なデータを基に、ただただ普通に暮らせる方法を模索する。
 自主的に避難した人も悩みが尽きない。南相馬市小高区から米沢市に移り住んだ市避難者支援センター「おいで」事務長の上野寛さん(51)は、避難者や自身の将来を憂う。
 福島県は16年度末、災害救助法に基づく借り上げ住宅の無償提供を打ち切る方針だ。夫が福島に残り、県外に子を連れて避難する妻など二重生活を送る家庭は多い。新たな家賃支出の経済的負担は大きい。
 「(線量は)落ち着いたと言うが、福島が本当に安全だと断言できない状態は変わらない。戻れない場所に戻れ、戻らないなら補償はしない、というのはあまりに一方的すぎる
 上野さんは怒りをにじませて訴える。「いったい誰が、こういう事態を招いたのか。われわれは古里に見捨てられるのか」
 人並みの幸せを取り戻す道のりは、なお遠い。
 
 
<震災と憲法>国の権限集中に違和感
  河北新報 2016年5月5日
◎被災地から考える(5)緊急事態条項(自民党憲法改正草案98条)
 
<原発情報届かず>
 熊本地震発生翌日の4月15日、東日本大震災で被災した自治体の首長の多くが、菅義偉官房長官の記者会見での発言に首をかしげた
 「緊急時に国民の安全を守るため国家、国民が果たすべき役割を憲法にどう位置付けるかは極めて大切な課題だ」。自民党が掲げる憲法改正による緊急事態条項の新設。その必要性が、熊本地震や大震災などと絡めて語られることに違和感があったからだ。
 「あの時、仮に宣言が出ていても、首相の指示を待つのは現実的ではなかった」。東京電力福島第1原発事故の避難区域が残る福島県川内村の遠藤雄幸村長が事故直後を振り返り、指摘する。
 2011年3月14日、3号機の原子炉建屋が水素爆発した。民主党政府は翌15日、川内村を含む原発から20~30キロ圏に出した指示は屋内退避。原発がどんな状況か、国からの情報は乏しく、テレビ頼み。屋内退避で本当にいいのか、分からない。「しびれるような恐怖感」の中、遠藤村長は16日早朝、村民約3000人の避難を独自に判断した。
 町民と共に川内村に避難した当時の遠藤勝也富岡町長(故人)と探し当てた避難先は、郡山市の展示施設ビックパレットふくしま。最後に村を出た遠藤村長は、断片的で現場に届かない国の情報にいら立った。
 自民党憲法改正草案の緊急事態条項は首相に権限を集中させ、自治体や国民は首相の指示に従う義務を負う。当時、結果的に国の指示を無視した遠藤村長は「住民の生命と財産を守る最前線の首長が現場で判断するのが間違いない」と今も思う。
 
<現場判断が必要>
 緊急事態条項の必要性を説く側は、権限の集中で迅速な対応が可能になると主張するが、効果に懐疑的な見方は強い。震災時、急を要した事態の一つにおびただしい数の遺体への対応があった。現場ごとの判断や行動が求められた。
 約1000人が犠牲になった釜石市。その数がほぼ判明するのに約1カ月を要した。遺体をどこに、誰が運ぶのか。火葬は間に合うか。その間も市側は次々と判断を下していかなければならなかった。
 野田武則市長は「自治体が機能不全に陥った場合は別だが、災害時の緊急事態への対応は憲法による首相の命令とかではなく、現場が柔軟に判断、対応できる法律や制度に基づく方がなじむ」と言う。
 震災で明らかになった法や制度の不備に対しては改善の動きが進む。災害と戦争やテロを分けて議論すべきだとの見方も多い。
 仙台市の奥山恵美子市長は「改憲議論は大いに結構だが、被災した市民の日常を回復させるのは、改憲による緊急事態条項だとは思わない」と強調する。
 災害を持ち出せば改憲に理解が得やすいとの考え方があるのだろうか。もしそうならば被災地の違和感は怒りになり変わる。