福島原発事故の後に政府要請で中部電力浜岡原発が全停止してから丸5年を迎えるのを前に、川勝平太静岡県知事は10日の定例記者会見で、「中電は安全に軸足を置いている」と評価する一方で、再稼働については、使用済み核燃料の保管・処理方法が未確立なことを理由に「できる状態にない」と明言しました。その上で、再稼働に不可欠な地元同意で住民投票を行うかについては、「(実施するなら)全県で。直接民主主義と県議会による間接民主主義の両方が機能するいい機会になる」との認識を示しました。
それとは別に、中部電の浜岡原発建設予定地に土地を持つ佐倉の地主たち約300人を中心に1968年に発足した「佐倉地区対策協議会」(地元の住民組織)に対して中電は、浜岡原発1~4号機を建設するのに伴い、地元の住民組織に総額30億7千9百万円余りを「協力金」として渡していたことが明らかになりました。
立教大共生社会研究センターが10日、公開を始めたもので、組織の代表者を務めた男性(故人)の自筆メモや、関係者から提供を受けた一連の資料などが見られるということです。
資料によると、協力金は原子炉増設のたび支払われ、浜岡原発の真下を想定震源域とする東海地震説が発表(76年)されたり、米スリーマイル島原発事故(79年)が起きたりして、受け入れ交渉が難航した3号機増設の際には、総額の6割強に当たる19億円余りが支払われたということです。
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再稼働「できる状態にない」 浜岡原発、川勝知事が持論
静岡新聞 2016年5月11日
東京電力福島第1原発事故の後に政府要請で中部電力浜岡原発(御前崎市佐倉)が全炉停止してから丸5年を迎えるのを前に、川勝平太知事は10日、浜岡原発の安全対策や再稼働の可能性などについて定例記者会見で持論を述べた。
川勝知事は海抜22メートルの防潮堤をはじめとする津波対策を例に挙げ、「中電は安全に軸足を置いている」と評価した。さらに、1、2号機で進む廃炉措置に注目し、「革新的な技術を生み出せば、利益を出すことができる」と述べた。
一方、再稼働については、使用済み核燃料の保管・処理方法が未確立なことを理由に「できる状態にない」と明言した。その上で、再稼働に不可欠な地元同意で住民投票を行うかについては、「(実施するなら)全県で。直接民主主義と県議会による間接民主主義の両方が機能するいい機会になる」との認識を示した。
また、使用済み核燃料を再処理した後に残る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分に関しても言及した。「科学的有望地」を本年度中に提示するという政府方針に対し、「国が勝手に決めても、住民が許さなければ机上の空論」とした上で、「差し当たって、中電は浜岡原発敷地内で処分する方法しか取れないのでは」と見通した。
「中部電、浜岡地元に30億円」 住民組織にも原発マネー
東京新聞 2016年5月11日
中部電力が浜岡原発(静岡県御前崎市)1~4号機を建設するのに伴い、地元の住民組織に総額三十億七千九百万円余りが渡っていたとする文書が見つかった。組織の代表者を務めた男性(故人)の自筆メモで、関係者から提供を受けた一連の資料とともに、立教大共生社会研究センターが十日、公開を始めた。
電力会社が原発の立地自治体に行う寄付は、なれ合いを生むなどとして批判されてきたが、浜岡原発の場合は一住民組織にまで継続的に行われていたことになる。こうした資料が明らかになるのは異例だ。
男性は旧浜岡町議の鴨川源吉氏。原発の建設用地の地権者の一人でもあり、中部電が1号機の受け入れを町に打診した翌年の一九六八年、地権者らの代表組織として「佐倉地区対策協議会(佐対協)」が発足すると、理事に就任した。
その後、原子炉増設の際には佐対協の同意が不可欠となるなど原発運営に強い影響力を持つようになった。鴨川氏は3~4号機を受け入れた七八~九〇年には会長を務め、九九年に八十四歳で亡くなった。
資料は「中電協力金集計表」と題され、日付は「(平成)元年8月31日現在調査」とある。
資料によると、協力金は原子炉増設のたび支払われた。浜岡原発の真下を想定震源域とする東海地震説が発表(七六年)されたり、米スリーマイル島原発事故(七九年)が起きたりし、受け入れ交渉が難航した3号機増設の際には、総額の六割強に当たる十九億円余りに達したとみられる。
旧浜岡町は従来、中部電からの寄付金を人口などに応じて町内六地区に平等に分配していた。だが3号機増設の際には、中部電との直接取引を指すとみられる「中電直入」の金が計十三億四千万円生じている。「中電直入」は4号機分でも五億円ある。
鴨川氏が会長を務めた当時幹部の男性は、資料について「知らない。知っていてもお金のことは言えないし、墓場まで持って行く話」と答えた。同時期に町長だった鴨川義郎氏(88)は「佐対協は中電と直接、補償交渉をしていた。金額までは分からないが、三十億円くらいはもらっているかもしれない」と話した。
鴨川源吉氏はこの資料のほか佐対協の議事録や自筆メモなど大量の資料を残しており、立教大で公開されるのは計約五百六十点に上る。資料は、立教大共生社会研究センター(東京都豊島区西池袋三)へ申請し、許可が得られれば閲覧が可能。
◆「振興の手伝い」中部電コメント
中部電力広報部は取材に「地元の振興を手伝いたいとの考えから、協力金を支払うことがある。個別の協力内容は相手方もあることから差し控える」とコメントした。
◆「地区の同意」に巨費
<解説> 今回明らかになった文書からうかがえるのは、地震大国・日本で原発を建設することの難しさだ。
原発の立地、建設を円滑に進めるために電力会社は多額の寄付金を地元自治体に落としてきた。旧浜岡町も一九七〇~八〇年代、中部電から少なくとも百十四億円を受け取っていたことが本紙の過去の報道で明らかになっている。今回のケースではこれに加え、人口三千~四千人規模だった一地区にまで、巨費が投じられていたことになる。
浜岡原発は東海地震や南海トラフ地震で大きな被害が想定されるエリアにあり、「世界一危険な原発」と呼ばれる。手厚い地元対策の背景には、地震や過酷事故への住民の懸念があったはずだ。ところが、「立地交渉は、ブラックボックス。社内でも担当部署以外は事情を知らされない」(中部電の元役員)というようにその実態はほとんどベールに包まれてきた。
東日本大震災を経験し、地震や津波対策は日本中の原発に突きつけられた共通の課題になった。日本で原発を建設し、運営するにはどれだけの費用がかかるのか。そして、これまでどんな交渉が行われてきたのか。電力を消費し、電気料金を払い続ける国民にとって、今回公開された大量の資料は、現在の原発政策を考える上でも大きな示唆に富むはずだ。 (森本智之)
<佐倉地区対策協議会(佐対協)> 中部電の浜岡原発建設予定地に土地を持つ佐倉の地主たちを中心に1968年に発足した。当時の地主は約300人。現在の佐倉地区は1927世帯、4746人(3月末現在)。中部電の寄付金で建てられた旧公民館内に事務所がある。他の原発立地自治体視察などの事業をしている。