2018年9月13日木曜日

武田教授が「原発の真実」を報じぬ日本のメディアを怒る

 武田邦彦教授が、日本福島原発事故前までは、原発や被爆に対して慎重だったのに、福島原発事故が起きると、急に「1年1ミリシーベルトなどという規制はない」「1年100ミリまで大丈夫だ」どと180度考えを転換した いい加減さに怒りの記事を出しました(武田氏はこれまでも音声ブログでは繰り返しそのことを批判しています
 また原発事故から7年を経過しても、福島をはじめとした日本国土や海岸の汚染状態甲状腺がんになったお子さんの数など伏せられていることにも怒りを示すとともに、原発を再開する背景には核武装のために・・という思惑があると指摘しています。
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武田教授が激怒 「原発の真実」を報じぬNHKや朝日新聞の大ウソ
MAG2NEWS 2018年9月13日
武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」
2011年に発生した東日本大震災の影響で起き、現在も収束が見えない「福島原発事故」。あのときから「原発」に対する見方は大きく変わりましたが、私たちが知りたいのは「どの情報が本当で、どの情報が嘘なのか」ということに尽きるのではないでしょうか。事故当時からTV等で原発事故の実態について多くの情報を発信してきた中部大学教授の武田邦彦先生は、自身のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』で、日本の事故前にあった冷静さと事故後との対応の違いを指摘しながら、一部マスメディアの原発報道の姿勢についても苦言を呈しています。
 
厳格な管理を貫いてきた日本の原発。なぜ福島原発事故から一転したのか
日本人は真面目で信頼できる民族でした。だからこそ国も繁栄し、国際的にも好感を持たれています。でも時折、日本人はびっくりした時に腰が砕けて、あらぬ方向に行ってしまいます。その一つが福島原発事故でした。
 
事故の前までは、日本人は原子力に対して冷静で、原発もしっかり作り、管理も世界に誇る状態でした。軽水炉という比較的安全な炉を選択し、技術者も真面目に安定した運転をしていました。社会的にも、一般人の被ばく限度(1年1ミリシーベルト以下)、放射性物質の管理(誰もが知っているマーク)も世界に誇るべき状態だったのです。
このように原発や被爆に対して、日本人は慎重だったので、テレビや新聞も被ばく量が1年1ミリ以下にならなくても、ちょっとした放射性物質の漏洩事故を大々的に報じていましたし、「基準より低ければ安全というわけではない!」と言っていました。また、電力会社も「従業員の被ばく量は1年20ミリ以下と決まっているが、安全を見て1年1ミリ程度に抑える」として、現実に被ばく量を減らしてきました。
 
ところが、福島原発事故に驚いた政府、原子力関係者、国民は動揺し、それまで国民に言っていたこと、法令の決まりを捨てて、「1年1ミリシーベルトなどという規制はない」「1年100ミリまで大丈夫だ」果ては、「もともと被ばくは危険ではない」などと180度考えを転換しました。それまで、被ばくに対してはとても厳しい記事を出していた朝日新聞までが「被ばくは大したことはない」(署名記事)を出すようになったのです。
 
さらに、原発事故から7年を経過しても、福島をはじめとした日本国土の汚染状態、海岸の汚染の程度、トリチウムなどの海洋への放出、甲状腺がんになったお子さんの数などの情報はほとんど伏せられています。
 
現在の日本は原発を再開しようとしていますし、現に2、3の原発は再開していますが、
1. 被ばく限度が不明になっている
2. 事故の時にどうするか決まっていない
3. 事故の後の汚染の調査をやるのかもはっきりしていない
という状態です。政府や電力会社は「せっかく原発があるのだから、動かさないのはもったいない」という経済的理由と、核武装のためには原発を動かしたいという思惑があり、それを表面に出さずに、まるで封建時代のように「由らしむべし、知らしむべからず」の原則を貫いています。
 
福島原発事故で明らかになった原発の「固有安全性、多重防御」のウソ
筆者は科学者ですが、科学は人間が相手の場合と異なり、最後までごまかすことができません。必ず事実は露見します。原発という科学の最先端を利用する場合の大原則は、「ウソをつかない。騙さない。科学的な原理を守る」ということが安全にはもっとも大切であることがわかります。
でも、私が原子力関係に携わっていた時の最も大きな問題は、「ウソをつく、隠す」ということでした。もともとの原因は「反対運動が激しく、いちいち相手にしていられない」ということで「嘘も方便」でしたが、そのうち「ウソが普通」になり、福島原発事故で明らかになったように、原発の安全の根幹であった「固有安全性、多重防御」もウソだったのです。
 
日本の技術力をもってすれば、地震国の日本でも世界に先駆けて「地震国で原発を安全に稼働する」ということが可能だったかもしれません。でも、日本の政治、風土、日本人の倫理観が現在のままでは技術はその力を発揮することができません。
筆者が原発関係の国の委員をしているころ、原発関連の立地となると、土地で政治家が、建造物で大手建設会社が、装置で大会社が、政治家を伴って暗躍し、安全な立地を確保することはほとんど不可能な状態でした。原発は技術問題が大きいので、常に東大の先生が後ろにいるのですが、原発の安全より自分の栄達のために政治的な動きをするのでどうにもならないのです。その一つの原因が、東大を退官した後の役職やその後の受勲などがチラチラしていました。
 
原発は安全が第一なので、監視体制も推進側(内閣府原子力委員会)と抑制側(内閣府原子力安全委員会)に分かれていましたが、それも「産業が優先」ということで、経産省に「原子力保安院」というのができて、実質的に骨抜きになっていました。
 
つまり、原発は基本的に良い方法だとか、日本の技術は高いから安全だ、というような原理や科学ではなく、日本の建前主義、官僚主義、勲章などとともに、それがわかっていても報道しないNHKや朝日新聞が存在する限り、残念ながら原発のような高度な技術を安全に運転することはできないということです。(メルマガより一部抜粋)
 
 武田邦彦
東京大学卒業後、旭化成に入社。同社にてウラン濃縮研究所長を勤め、芝浦工業大学工学部教授を経て現職に就任。現在、テレビ出演等で活躍。メルマガで、原発や環境問題を中心にテレビでは言えない“真実”を発信中。