2018年9月4日火曜日

04- トリチウム水を流すなら

 BLOGOSに、もしもどうしてもトリチウム水を希釈放流する積りなら、最低限こうすべきであるという主張が載りました。
 その内容は読んでいただくとして、中々辛辣な内容ですが理は通っています。
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トリチウム水を流すなら  
赤木智弘 BLOGOS 2018年9月2日
福島第一原発事故の影響により、放射性物質を含んだ地下水を処理し、トリチウム以外が含まれなくなった処理水をどうするかが問題になっている。(*1)
処理された水はすでに福島第一原発構内に92万トンが保管されており、これからも日々増え続けることから、ずっとその最終的な処理が問題になっていた。
科学的に言えば、トリチウムは自然界の水にも含まれ、十分に希釈をすれば問題なく海に放流することができる。いくつか方法はあるだろうが、実質的には海洋放出が安全性はもちろん、コスト的にも継続性的にもベストである。
しかし、福島の漁師たちは処理水の海洋放出に反対する。理由はさらなる風評被害により、また福島県沖での漁業が壊滅状態になることは明らかだからだ。漁師たちにも生活がかかっている。素直に「はい、そうですか」と頷くことはできないだろう。
 
こうした問題に以前から原発問題に関してつぶやいている人たちは「風評被害を撒き散らしたマスコミが悪い!」と主張している。
そうした意見に対して、僕は一理あるとは思うが、一方で風評の逆、安全性を主張するあまりに多くの人々の不安に対して上から目線で嘲笑っていたのも、そうした人たちではなかったか。
 
最近の自然災害で山の斜面に設置された太陽光パネルが崩落したり、風力発電の風車が倒壊(*2)したりする事故が起きているが、こうした事故が起きたときに、「ほら見たことか、自然エネルギー発電はとても危険なのだ」と、必要以上に自然エネルギー発電を批判的に扱う人が現れる事がある。
特に太陽光発電は、原発事故後に民主党政権が推進したことにより、民主党政権を嫌う人たちの攻撃対象になることが多い。
しかし、太陽光パネルにしても、風力発電の風車にしても、たとえそれが壊れたり倒壊したとしても、それを撤去すればいいだけの話である。事故の将来的な影響は極めて軽微で、原発事故のように、発生から7年以上が過ぎても人の住めない土地が産まれるなど、ありえないのである。
 
また、福島第一原発の事故を取り上げて「原発事故での死者はいない」という人が現れることもある。これも僕はどうかと思う。
確かに、少なくとも現状で、福島第一原発事故由来の放射線で命を落とした人はいない。しかし、東日本大震災で避難した人たちの体調が悪化したり、避難生活での過労やストレスなどで死に至る「震災関連死」については、原発事故の要因は決してゼロではない。
多くの人たちの避難が長期化した原因の一つとして、確実に原発事故は影響しているのであり、原発事故での死者がいないというのは、あまりに事故の影響を軽視しすぎている。
このように、事故の影響を過剰に煽る側と、事故の影響を過剰に軽視する側。その両者に、当事者の人たちは常に弄ばれ続けて来たのである。
 
今回の問題についても「トリチウムは危険じゃないから大丈夫」と主張して、話を結論づけている人が散見されるが、問題は安全性ではなく風評被害であり、漁師たちの生活が成り立つか否かということなのである。
個人が「食べて応援」をしても、結局は一時的なものに留まるし、個人は漁師の生活が十分に成り立つほどの魚を食べることはできない。問題は個人が福島の魚を忌避するか否かではなく、流通が福島の魚を忌避するか否かなのである。そうした意味で、トリチウムの海洋放出が福島の漁業に多大な影響を及ぼすことは避けられないと、僕は考える。
なので僕は「コストをかけても、東京湾に処理水を海洋放出するのがベターだ」と考える。
東京のマスコミも東京のことなら必死になって風評被害の払拭に精を出すだろう。
 
そもそも、福島第一原発で作られた電気は東京で消費したものである。ならば事故の責任はできるだけ東京が負うべきなのだ。 コストについては、タンカーが福島沖と東京を往復するのにどのくらいかかるかはわからないが、とりあえず手始めに、尖閣諸島寄付金という14億もの浮いたお金(*3)を利用してはどうか。もしくは、世界に呼びかけて公海に流すか。
どちらにせよ、福島沖で処理水を流すべきではないと、僕は考える。これ以上福島だけに負担を押し付けるのはやめようではないか。
 
*1:【福島第1原発事故】海に処理水、漁協反発 初公聴会、賛成意見も(産経ニュース)
*2:台風20号で風車倒壊、淡路市が調査委設置へ(神戸新聞NEXT)
*3:【尖閣国有化5年】都の基金14億円 国方針決まらず宙に浮く(産経ニュース)