2018年9月27日木曜日

伊方再稼働容認の高裁判断は疑問

 去年12月の伊方原発3号機の運転を差し止めた広島高裁仮処分を、25日、取り消して再稼働を認めた広島高裁異議審決定について、26日、社説で取り上げた各紙は、ことごとく決定に疑問を呈するものでした。疑問があるから社説で取り上げたとも言えますが・・・
 社説のタイトルは下記の通りです。
 
伊方高裁判断危険を矮小化してないか」(高知新聞)、「広島高裁伊方稼働容認 社会通念基にした判断に異議」(愛媛新聞)、「伊方再稼働認める 安全性の追求どこまで」(徳島新聞)、「伊方原発の再稼働容認 火山リスクの軽視では」(中国新聞)、「伊方再稼働へ首をかしげる高裁の決定」(神戸新聞)、「伊方原発決定不安に向き合ったのか」(京都新聞)、「伊方原発 安全と言い切れるのか」(信濃毎日新聞)、「伊方原発再稼働を容認 社会通念が根拠では曖昧だ」(河北新報)、「伊方再稼働容認 高裁判断は疑問拭えぬ」(北海道新聞
 
 タイトルでは触れなくても、多くの社説は文中において「社会通念」を根拠にしていることに疑問を呈しています。
 社会通念上容認できる事故の確率と言うのは、例えば交通事故の場合、具体的にはどの程度低い確率であれば交通機関による利便性との関係で容認できるのかから導かれる筈ですが、原発事故の場合は、一旦起きれば影響を及ぼす地域の広さが国土の何割にも及び、事故前の状態に復旧できるまでには100年以上がかかる一方で、原発の利便性は原子力ムラが利潤を得ること以外には皆無なので、必然的に「絶対ゼロ」であるjことが要求されています。
 それを安易に「社会通念上容認される」などと述べるのは、「没論理」以外のものではありません。
 
 北海道新聞の社説を紹介します。
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伊方再稼働容認 高裁判断は疑問拭えぬ
北海道新聞 2018年9月26日
 未曽有の災害が引き起こす原発事故に対する国民の不安に正面から向き合ったとは言えまい。
 四国電力伊方原発3号機(愛媛県)の運転を差し止めた広島高裁の仮処分決定を巡る異議審で、広島高裁はきのう、四国電力の異議を認めて仮処分を取り消した。
 昨年12月の即時抗告審決定では、別の裁判長が九州の火山噴火による火砕流が原発敷地内に到達する可能性を指摘。四電のリスク想定は過小と判断し、今月末までの運転差し止めを命じていた。
 異議審決定は、これを「大規模な噴火が起きる可能性の根拠が示されていない」として退けた。
 同じ高裁が9カ月後にほぼ正反対の判断を下す。これでは、住民の不信はかえって膨らむばかりではないか。
 
 最大の争点は、伊方原発から約130キロ離れた阿蘇カルデラ(熊本県)で約9万年前に起きた過去最大級の噴火が再び起きた場合のリスク評価である。
 決定は「3号機の運用期間中に破局的な噴火が起きる可能性は低い。約9万年前の噴火でも火砕流は届いていない」との四電側の主張を全面的に認めた。
 さらに、160キロ圏内にある火山の活動可能性を判断すると定めた原子力規制委員会の内規について、前提となる噴火時期や規模の正確な予測は困難として「不合理」とまで言い切った。
 このため、立地の適合性は、災害の危険性をどの程度容認するかという社会通念を基準とし、多くの国民は大噴火を格別問題視していないと判断している。
 噴火を正確に予測できなければ、社会通念を基準にするとの論法は乱暴と言わざるを得ない
 
 大規模な自然災害が常に想定を超える事態を引き起こしてきたことを忘れてはならない。
 万が一の危険性を考慮し、「想定外」をなくしていくことが、東京電力福島第1原発事故の貴重な教訓である。
 だからこそ、前回の決定は、過酷事故を二度と起こさぬよう、危険性が存在しないことを四電が立証できない場合、危険が推定されると判断したはずだ。
 大噴火の確率は極めて低いとしても、発生すれば計り知れないダメージをもたらす。
 こうしたリスクは社会通念として国民に受け入れられている―。今回の決定が、そうみなしているとすれば、違和感を拭えない。
 国民の意識とは隔たりがあるのではないか。