ジャーナリストの添田孝史氏が、東京地裁における武藤元東電副社長の被告人質問の様子を報じました。
質問に対する回答のポイントや証言台での本人の身振りなど、公判の様子が臨場感をもって語られています。
公判は、年内に論告求刑が行われ、来年春までに判決が出る見込みです。
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傍聴席から失笑も… 東電元副社長が
添田孝史 AERA dot. 2018年10月23日
AERA 2018年10月29日号
東京電力の元幹部に、福島第一原発事故の責任を問う刑事裁判。「山場」とされる被告人質問で、武藤栄・元副社長は責任逃れに終始した。
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10月16日、被告人質問の冒頭。東京電力元副社長の武藤栄氏(68)は証言台の席から立ち上がり、「大変多くの方々にご迷惑をおかけした」と、裁判長に向かって4秒ほど頭を下げた。福島から傍聴に来た人たちに尻を向けておじぎする姿は、とても奇異に感じられた。一体、誰に何をわびたのだろう。
公判の間中、武藤氏は落ち着きがなかった。腕を前に出して証言台をつかんだり、話しながら腕を振ったりと体を動かし続けた。検察官役の指定弁護士の質問に答える時は、ときおり頬を紅潮させてもいた。
東京地裁で最も大きな104号法廷の傍聴席は98席。一般傍聴者の抽選倍率は、16日5.8倍、17日4.5倍と世間の関心は高かった。
東電福島第一原発事故を受け、入院患者らが無理な避難で死亡したなどとして、東電元幹部らが強制起訴され始まった刑事裁判は、2017年6月に初公判が開かれた。
18年1月の第2回までは間が空いたが、その後はハイペースで進み、今回が30回目だ。これまで21人の証人が登場し、社内会合の議事録や電子メールなどの物証をもとに、被告人がどんな判断をしてきたか、事実を固めていった。
そして迎えた、武藤氏への被告人質問。最大の争点は、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)が02年に発表した長期評価に、適切に対応していたかどうかだ。
長期評価は「福島沖でも1896年の三陸沖(明治三陸地震、死者2万1959人)と同様な大津波をもたらす地震が発生する可能性がある」と予測していた。指定弁護士側は「社内で進んでいた対策は08年7月31日、武藤氏の指示で停止された」という主張を、証言や証拠で着々と示していった。武藤氏が津波対策を先送りし、その判断が事故を引き起こしたというのだ。
「先送りと言われるのは大変に心外」
証言台で、武藤氏は語気を強めた。08年7月31日、東電社内で津波想定を担当する土木調査グループは、長期評価に基づき15.7メートルの津波への対策を示したが、武藤氏は対策にGOサインを出さず、土木学会に検討を依頼した。これについて武藤氏は「経営としては適正な手順」と強調した。
しかし、会合に出席していた東電社員の供述から、筆者には「適正な手順」とは思えない。
「対策を前提に進んでいるんだと認識していた」
「それまでの状況から、予想していなかった結論に力が抜けた。(会合の)残りの数分の部分は覚えていない」(第5回公判、4月10日)
「想像していなかった」
「(対策工事をしないことについて)それも無いと思っていました」(18回、6月20日)
東電の決定を聞き、東海第二原発を運転する日本原子力発電の取締役は「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」と述べていたと、当時同社に出向していた東電社員は検察官に供述していた。(23回、7月27日)
指定弁護士の「7月31日の決定は感覚的に『時間稼ぎ』と思っていたのか」という問いに「そうかもしれない」と答えた社員もいた。(8回、4月24日)
地震本部が予測した津波への対策を進めることは、08年2月の地震対応の会議、3月の常務会、双方に出席した勝俣恒久氏ら東電経営陣が了承していた。津波対応部署のトップだった東電社員が、検察の調べにそう供述していたこともわかった。(24回、9月5日)
この供述に、武藤氏は強く反発。「どうしてそういう供述をしたのかわからない」と何度も述べた。
2月の会議で提出された資料には、「1F(福島第一) (津波高さ)7.7メートル以上の通し 詳細評価によってさらに上回る」とあり、対策として、非常用ポンプの機能維持、建屋設置によるポンプ浸水防止、建屋の防水性の向上などが挙げられていた。しかし武藤氏は「読んでない」「記憶にない」と繰り返した。
裁判長も、会議資料の4項目しかない目次の一つに「津波への確実な対応」と挙げられていることを指摘し、武藤氏に、それでも読んでいないのかと念押しして尋ねた。だが武藤氏は「どこまで詳しく見ていたか記憶がない。よくわかりません」と返答した。
筆者が驚いたのは、政府の津波予測について、武藤氏が「信頼性は無い」と断じたことだ。「信頼性が低い」という表現なら理解できる部分もあるが、政府予測に信頼性が「無い」と繰り返す口調の強さに、のけぞりそうになった。最新の科学的知見の意味を理解できない人が、東電の原発の最高責任者だったのだと、つくづく恐ろしくなった。
長期評価の信頼性を巡っては、評価をとりまとめた島崎邦彦・東大名誉教授ら地震学者3人、土木学会で津波想定を担当していた技術者、東電社員らが証言を重ねてきた。予測に不確実な部分があるにせよ、原発の審査で無視できるような信頼性の低い予測ではないという点では一致していたようにみえた。
それを武藤氏は「信頼性が無い」と断じた。指定弁護士から根拠を問われると「1人の社員がそういう趣旨のことを言ったと思います」と説明した。
だが、東電社員は政府予測に「信頼性が無い」などとは考えていなかった。
津波想定を担当する東電社員が08年3月5日、原発を持つ他の電力会社に次のように説明したことが、7月に日本原子力研究開発機構が開示した文書でわかっている。
「東電福島は電共研津波検討会の状況、学者先生の見解などを総合的に判断した結果、地震本部での検討成果を取り入れざるを得ない状況である」
「(長期評価への)津波対応については平成14年ごろに国からの検討要請があり、結論をひきのばしてきた経緯もある」
武藤氏の口からは、傍聴席から失笑や驚きの声が漏れるような発言もたびたびあった。
「津波想定を見直さなくても、福島第一の安全性は社会通念上、保たれていた」
「見直しの報告書は形式上のものだ」
「現状でも十分安全なのに、安全の積み増しで補強、良いことをしようとしていた」
これらは東日本大震災前に、電力会社が繰り返しPRしていた建前そのものだ。
だが実際は、東日本大震災前から原子力安全・保安院や電力会社が津波に対する危機感を強めていたことがわかってきた。
東電は先送りしたのに、日本原電は地震本部の長期評価にもとづいて、東海第二原発の津波対策を進めていた(23回、7月27日)。保安院の担当者は、原発の津波高さ評価に余裕がないとして、電力会社の担当者と激しく議論していた(29回、10月3日)。そんな事実も刑事裁判で初めて明らかにされた。
ところが、武藤氏は、会議資料は「読んでない」、部下から送られた電子メールも「読んでない」「探してみたが見つからない」、説明を受けたかどうかは「記憶にない」。それを証言で繰り返した。
公判後の記者会見で、被害者参加代理人の海渡雄一弁護士は「武藤氏は否定のしすぎだ。動かない証拠があるところまで否定している。証言全体の信用を失い、墓穴を掘ったのではないか」と話した。
東電は、事故の損害賠償などを求める民事訴訟でも471件(うち継続中177件)の裁判を起こされた。そこで東電は「津波は予見できなかった」と主張している。刑事裁判で真相が明らかにされると、民事訴訟との整合性が取れなくなることを恐れたのかもしれない。
「被告が本当の良心にしたがって真実を述べてほしいという思いで見つめてきたが、自己保身、組織防衛という情報隠蔽体質がずっと続いていることが明らかになり、失望している」
福島原発刑事訴訟支援団長の佐藤和良・いわき市議はそうコメントした。
今月19日の武黒一郎・元副社長に続き、同30 日に勝俣恒久・元会長の被告人質問がある予定。年内に論告求刑があり、来年春までに判決と予想されている。(ジャーナリスト・添田孝史)