業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧東電経営陣3人の第33回公判が30日、東京地裁で開かれ、勝俣恒久元会長(78)は初めての被告人質問で「社長と会長を務めた者として深くおわび申し上げます」と謝罪しました。
しかし「会社の業務範囲は広く、全てを直接把握するのは不可能に近い」とも述べ、会長には津波対策なども含めた業務の執行権限がなく、社長の補佐的な立場だったと強調しました。
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原発事故:東電元会長、再度謝罪 強制起訴公判
毎日新聞 2018年10月30日
原発事故:東電元会長、再度謝罪 強制起訴公判
東京電力福島第1原発事故を巡り、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣3人の公判は30日午前、東京地裁(永渕健一裁判長)で、勝俣恒久元会長(78)の被告人質問が始まった。勝俣氏は冒頭、事故について「東電の社長、会長を務めた者としておわび申し上げます」と謝罪した。勝俣氏への質問は午後も行われる。
この日の公判は午前10時ごろに開廷。先に、今月19日の前回公判に続いて武黒一郎元副社長(72)の被告人質問が行われた。被害者側弁護士から「福島第1原発に最大15.7メートルの津波が襲来するとの試算結果を聞き、実際にどうなるかを想像しなかったか」と問われ、「想像するには至らなかった」と述べた。
勝俣氏の被告人質問は、午前11時過ぎに開始。冒頭、「亡くなられた方、遺族の方、負傷された方、大変ご迷惑をおかけしました」などと述べ、頭を下げた。
その後、弁護人の質問が始まり、会長の業務について問われると「業務執行の権限は社長に譲り、社長が助言を求めてきたら補佐する。私は対外的な仕事や付き合いを行っていた」と話し、社長や他の幹部らを指揮する立場にはなかったと説明した。
勝俣氏は昨年6月の初公判で「震災当時、津波による事故を予見するのは不可能だった」と述べており、社内で震災前に津波対策が保留された経緯について、午後の法廷でどのような認識を示すのか注目される。
勝俣氏、武黒氏、武藤栄元副社長(68)の3被告は、第1原発に大津波が襲来して事故が発生する可能性を予見できたのに対策を怠り、2011年3月の東日本大震災で事故を招き、福島県大熊町の双葉病院から長時間の避難を余儀なくされた入院患者ら44人を死亡させるなどしたとして起訴されている。
3被告は初公判ではいずれも無罪を主張。検察官役の指定弁護士は冒頭陳述などで、勝俣氏について「(08年2月に開かれた『御前会議』などの)社内会議を通じて津波対策の必要性を認識していた」と主張している。【蒔田備憲、柳楽未来、伊藤直孝】
「カミソリ勝俣」の異名
勝俣氏は1963年に東電に入社した。経営方針などを策定する本社の中枢・企画部の在籍が長く、企画部長などを歴任。2002年の原発トラブル隠しで引責辞任した前社長の後を引き継ぎ、社長に就任した。日本経団連副会長を務めるなど経済界でも存在感を発揮し「カミソリ勝俣」との異名で語られることもあった。
08年、東電会長に就任。ある東電元社員は「会長になってからも実質的な決定権を持ち続けた」と話す。11年、原発事故から約3週間後に初めて記者会見に臨んだ際には「(津波の)対策が不十分だった。大変申し訳ない」と謝罪していた。
元社員は「東電は縦割り、分業制の会社で、各分野の副社長が実質的なトップ。勝俣氏は原発の詳しい技術については把握していなかったのではないか」と振り返る。【柳楽未来、蒔田備憲】