東北電力は25日、運転開始35年目の女川原発1号機(52万4000KW)の廃炉を決めたと発表しました。さらなる運転期間の延長に巨額の投資が必要となり、採算が合わないと判断したものです。これは発電容量が50万KW台と小さいためで、2・3号機(各82万5000KW)は再稼働を目指しています。
福島事故後、東京電力以外で廃炉を決めた原発は女川1号機で7原発10基目となり、今年7月に4年ぶりに改定したエネルギー基本計画には新増設は盛り込まれていないので、2030年度の発電比率を20~22%にするという馬鹿げた目標はこのままでは達成されない見込みです。
女川原発1号機の廃炉作業は原子力規制委の認可を得て30~40年かけて行います。着手は1年先から数年先を見込み、廃炉費用は今年3月時点で432億円と想定しています。
親子2代で脱原発を訴えてきた女川町議の阿部美紀子さんは、「遅すぎる判断。2、3号機もある。父への良い報告とはまだ言えない」と述べました。
大学在学中から「事故が起きれば大量の放射性物質が放出される」と危険性を訴えるビラを配り、長い闘いに身を投じ、脱原発東北電力株主の会代表などを務める篠原弘典さんは、「1号機は浜の共同体を破壊した。浜に残されたのは、巨大な権力と積み上げられた補償金によって分断された人々だった。廃炉は当然だ」と怒りをにじませました。
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<女川原発1号機廃炉> 運転延長採算合わず 東北電、原発4基で初
河北新報 2018年10月26日
東北電力は25日、東日本大震災後に運転を停止している女川原発1号機(宮城県女川町、石巻市、出力52万4000キロワット)の廃炉を決めたと発表した。運転開始から35年目を迎え、さらなる運転期間の延長に巨額の投資が必要となり、採算が合わないと判断した。東北電の原発4基で初めての廃炉となる。
原田宏哉社長は同日午後、宮城県の村井嘉浩知事に決定を報告。その後の定例記者会見で「地域に丁寧に説明し、安全を確保して廃炉手続きを進めたい」と述べた。再稼働審査中の女川2号機などに経営資源を集中させる考えも示した。
東京電力福島第1原発事故後、国は原発の運転期間を原則40年と定めた。厳しい特別点検の実施などを条件に20年延長できる。
東北電は1号機の再稼働と運転延長を検討してきたが、安全対策費に1000億円前後かかることも想定される上、女川2、3号機(出力各82万5000キロワット)に比べて出力が6割にとどまり、採算が合わないと判断。沸騰水型炉(BWR)の国内初期のタイプで格納容器が小さく、安全対策工事も困難とした。
今後は廃炉作業の工程を示す「廃止措置計画」を作成し、原子力規制委員会の認可を得て30~40年に及ぶ廃炉作業に入る。着手は1年先から数年先を見込む。
東北電によると、1号機の廃炉費用は今年3月時点で432億円と想定。同月までに296億円を積み立て、残る136億円も残り6年で確保する。ただ、最終的な費用ははっきりしていない。
東北電は残る3基のうち、女川2号機を2020年度以降、東通原発(青森県東通村)を21年度以降に再稼働させるため、規制委の審査への対応や安全対策工事が続く。女川3号機も審査準備を進める。
1号機の廃炉で、事故後に廃炉を決めた商業用原発は7原発10基(福島第1原発6基を除く)になる。
[女川原発1号機]東北電力が1984年6月に運転を開始した。同社の原発4基の中で最も古く、国内で運転する39基のうち8番目に古い。東日本大震災当日、運転を自動停止した。事故を起こした東京電力福島第1原発と同じ沸騰水型炉(BWR)の国内初期の「マークI型」で、福島を除く他社の4基は廃炉が決まっている。
<女川原発1号機廃炉>脱原発活動に長年関わる 廃炉の先不安視
河北新報 2018年10月26日
東北電力が25日に表明した女川原発1号機(宮城県女川町、石巻市)の廃炉決定を、「原発神話」にあらがい続ける人々は複雑な思いで受け止めた。東京電力福島第1原発事故を経た今、再稼働の動きは全国で相次ぐ。建設当初から女川原発と向き合ってきた2人は、歩みを振り返りつつ廃炉の先を不安視した。
◎遅い判断、課題は山積/親子2代で脱原発 女川町議・阿部美紀子さん(66)
女川町議の阿部美紀子さん(66)は、父宗悦さん(2012年死去)と親子2代で脱原発を訴えてきた。「遅すぎる判断。2、3号機もある。父への良い報告とはまだ言えない」と厳しい表情を浮かべた。
町議会が原発誘致計画を認めた1967年、宗悦さんは地元の漁業者らと「原発設置反対女川同盟会」を結成した。69年には隣接する旧牡鹿、雄勝両町の住民らと期成同盟をつくり、反対運動の先頭を走り続けた。71年に町議に初当選し、2007年まで通算8期務めた。
「原発は百害あって一理なし」。口癖のように言っていた宗悦さんの背中を見て育った。反原発運動に参加し、宗悦さんが原告団長を務めた差し止め訴訟にも加わった。
11年の東日本大震災の津波で自宅を失った。親戚宅や避難所を転々とする間も思いは揺るがなかった。その年の4月下旬、がれきに埋まった自宅跡地に父娘で足を運ぶと、泥だらけのもも引きが目に入った。「全ての原発 廃炉に」。ペンで大きく書いて掲げた。
11年11月の町議選。阿部さんは告示1週間前に立候補を決めた。人前に出るのは苦手だったが「反原発運動の火が消えてしまう」という周囲の声に支えられ、初当選した。父や仲間の思いを胸に、今は2期目の議場に立つ。
廃炉決定の知らせを受けても、手放しには喜べない。阿部さんは「作業員の健康リスクや放射性廃棄物の処理など課題は山積している」と指摘した。
◎共同体破壊、怒り今も/脱原発東北電力株主の会代表・篠原弘典さん(71)
脱原発東北電力株主の会代表などを務める仙台市泉区の篠原弘典さん(71)は女川原発建設前から反対運動に携わり、間もなく半世紀になる。「1号機は浜の共同体を破壊した。廃炉は当然だ」と怒りをにじませた。
東北大工学部原子核工学科に在籍中の1970年10月、女川町であった漁民総決起集会に参加した。「原子力の社会的意義を疑った」。篠原さんは町内に借りた長屋を拠点に「事故が起きれば大量の放射性物質が放出される」と危険性を訴えるビラを配り、長い闘いに身を投じた。
78年、漁協が女川原発建設に伴う漁業権放棄を可決し、抵抗のすべを失う。「浜に残されたのは、巨大な権力と積み上げられた補償金によって分断された人々だった」と憤る。
81年に起こした全国初の建設差し止め訴訟は2000年に最高裁が訴えを棄却した。それでも屈せずに仲間と脱原発運動を続ける中で、原発事故は起きた。
「福島を原発撤退の出発点にしなければならないのに、国や電力各社は再稼働へと突き進んでいる。事故は起こり得る」
時代も変わりつつある。国が原則40年と定めた運転期間を待たずに東北電が1号機を廃炉とすることに「原発事故後の新規制基準で巨額の安全対策費が必要となり、経済合理性が失われるなど原発の問題を象徴している」と指摘する。
「放射性廃棄物の処分も決まらない。廃炉を機に、多くの人に原発を見詰め直してほしい」と願う。